『陳述書』



『陳述書』を読んで下さる方へ
 
 この陳述書は、第5回・第6回口頭弁論の、原告への尋問の元になっているものです。裁判の中では、甲第61号証と呼ばれています。勇士の親兄弟が、勇士本人から見聞きしたことをまとめて仕上げた、勇士の1年4ヶ月の記録です。表紙に目次をつけ、裏表紙までいれると、A4版40ページの書類です。勇士の言葉はそのまま掲載しました。
 裁判が始まってから、勇士と同じような職場・就職先環境で働く人の家族や知人、あるいはご本人から、心当たりの症状についてたくさんのご質問をいただいています。一つ一つになかなかご返事できずに申し訳ありません。

 体調を崩していく様子は、人それぞれ異なると思います。勇士の場合は、最後まで家族に暴力的になるとか、物を投げつけるとか、勇士を知らない他人が見ても異常に見えるとかいうような行動はありませんでした。親子ともにとにかく今までの生活の中で培った健康生活の気をつけ方で努力しました。熱も出ませんが、なんとしても体力が弱っていきました。母親も祖父母も救うことが出来ませんでした。50年以上生きても80年以上生きていても、経験のないものにはまったく無防備に、何もしてあげることができませんでした。

 読んでいただいて、関係の方々がいろいろ論じて考えて下さることを願っています。人間は疲れたら素直に休み、そしてまた元気をだして素晴らしい仕事をしたい。頑張って成し遂げたら、思いっきり達成感を持ちたい。そして自分は素晴らしいんだ、と自信を持って明日に進みたい。心からそう思います。

 陳述書は勇士の言葉をそのまま記載してありますので、関係各位には驚きの部分もあるかと思います。しかし、勇士の心の内はこの通りでした。陳述書の初めには、「工学部(都立大)で教える内容のレベルが低く・・・」という下りがあります。これはかなりきつい響きですので、聞いていた私から少し補足致します。
 勇士は中学卒業の年から、航空高専で5年間ずっと理工学専門に学習しました。普通の進学なら、高校から短大に進んだ年月です。20歳になって卒業です。学校生徒全員、理工学ですから、いきおい航空高専の図書館もびっしり理工学です。勇士によると見たいものは何でもあったといいます。
 卒業と同じに、勇士は都立大工学部の3年生として編入学しました。

 一方、学生が都立大に入るには、普通、高校を卒業して入学していきます。20歳では都立大2年生です。工学部であっても2年生までは一般教養が入っていますからそれほど理工学漬けではありません。都立大工学部3年生として、彼らが勇士の同級生となりました。
 大学自体も工学部だけでなく、他の学部もたくさんあります。当然、大学の図書館は高専のものとは、はっきり様変わりします。それが理工学漬けでさらに高い文献を求めていった勇士には、驚き・とまどい・失望、と変わりました。

 学校の形態が違った所に入ったのですから、多少の違いはあるだろうと思ってはみても勇士はあせったようでした。高専であたためた論などを熱く語れる人を求めていったのは確かでしたから、そんな雰囲気ではないと言うようになりました。授業も「落とさない程度に」という熱に変わりました。自分の熱い思いを埋めるために、英語などの原書に目を通すようになりました。前述の「レベルが低く・・・」はこのような気持ちの中の言葉です。

 エッと思うような言葉は、他にも後々出てくるかもしれません。「文句も言わず、トラブルも起こさない」と言われた人物の心の中です。
上段のり子