最終意見陳述書
2007年11月21日
東京地方裁判所 民事第13部合A係 御中
住所 山梨県南アルプス市※※※※
氏名 飯窪愼三
平成17年11月9日に訴状を提出してから、2年間にわたり、裁判官の方々の、貴重な時間をいただきありがとうございます。この間、原告の言い分を、ていねいに聞いていただき、大変感謝しております。
1 修平の生命を奪った労災事故
平成15年8月2日(土)の午後1時50分頃、修平を病院へ運んだ救急車に同乗した、テクノアシスト相模社員の、Gさんから「修平君が脚立から落ちて怪我をしました。」と電話がありました。また、入院当日に「高さ88センチの脚立から落ちた」ことを、さらに、入院後1週間ほどして「労災事故として扱う」ことを、テクノアシスト相模のFさんから聞かされました。そのため、私は、修平が入院したのは「脚立から転落した労災事故による、頭部打撲」が原因だと信じて疑いもしませんでした。
修平は、22歳になったばかりで、未来への可能性を信じ、頑張って働いていたのに、一度も意識が戻らないまま、入院して98日後に、亡くなってしまいました。
2 裁判の中で
(1) 狭い台の上での長時間の立ち作業と、その作業への安全配慮
修平は、高さ90センチで、手すりや柵の無い、40センチ四方の狭い台の上に上って、立ち作業をしていました。ある大学の准教授は、「40センチ四方の狭い台の上で、足を動かさずに長時間立って居ることは、拷問を受けているのと同じようなものだ。」と言っていました。
修平が、事故当時に使用していたとされるものと、全く同じ台を作り、その台の上に、私が、実際に上って試してみましたが、「足を動かすことができない」苦痛は想像以上で、78分間上っているのが限度でした。
修平は、足を動かすゆとりのない狭い台の上に、上らされ、製造ラインを、次々と流れて来る缶蓋の検査作業を、真面目に、一生懸命にしていて、事故に遭ったものと思います。
また、この狭い台は、修平が行っていた検蓋作業専用のものではなく、普段、工場の中で、高いところのものを取ったりしている、踏み台を、この検蓋作業のために、持って来たものなのだそうです。工場の正社員は何度も、その踏み台の上で短時間の作業をしたことがあり、様子がわかっていたので、何の気なしに、軽い気持ちで、工場の中にあったこの台を、検蓋作業のために持って来て、使わせていたのだと思います。
いま思えば、この検蓋作業を行わせる前に、この作業に対する安全配慮義務を、大和製罐とテクノアシスト相模が、しっかり果たしていれば、修平は、死ななくても済んだものと確信しています。
(2) 社外工と呼ばれる人
修平たちは、大和製罐東京工場の社員からは、社外工と呼ばれていました。
修平は、大和製罐東京工場の、工場内請負会社のテクノアシスト相模に、雇われた非正規雇用労働者でした。
「何かわかりませんが、修平のような、働き方をしている人は、何かにつけて、働く職場での安全が、おろそかにされているのではないか。」と思えてなりません。
3 さいごに
我が国の、働く人の3分の1が、非正規雇用労働者で占められていると、言われています。また、平成19年5月12日の毎日新聞の記事によると、「東京労働局の一昨年と昨年の調査から、派遣で働く労働者の、労災事故が急増していることが明らかになった」そうです。また、「正社員に比べると安全教育がおろそかになりがちで、注意を呼びかけたい」と東京労働局では、話しているそうです。
私は、この裁判に勝って、修平のように、工場内請負労働者、派遣労働者と呼ばれている、多くの非正規雇用で働く人の安全が、おろそかにならないように、警鐘を鳴らしたいと考えています。
それが叶いましたら、修平の霊前で、「修平の死は無駄ではなかったよ」 と報告したいと思います。 |