1.控訴審の中で
上段勇士の母親です。
控訴審での法律論は難しく、緊張の連続でした。原告準備書面と被告準備書面を読み比べ、諸説や判例を学ぶことが続きました。その中で、法廷では互いの主張を聞く機会が設けられ、この方法はとても分かり易いと思いました。
ニコンの主張にそってアテストが同様の主張をすることに大きな違和感を覚えました。アテストは勇士の雇用主であり、ニコンは派遣先です。2社の主張がことごとく同じで、セーフティーネットの穴も同じ箇所になりました。これでは労働者はどちらでも救ってもらえません。二重に危険な構造だったことを、この3年5カ月をかけて被告自ら丁寧に証明していると思いました。
2.控訴の理由
原審は、概ねすばらしい判決をいただいたと思います。しかし損害の認容額がとても低く、受け入れることはできませんでした。
低くなった大きな理由は2つでした。それについて述べます。
1つ目は公平の見地からとする3割の減額でした。
勇士が電験の受験を考えてあせったのではないか、家族に金銭を貸したことが原因だったのではないかというものがありました。
挙げられているものは、勇士が元気な頃には、楽しみだったものばかりです。人生の最期に、勇士はかつて楽しかったことを次々にしていきました。
熊谷での唯一の成果は貯金でした。それを兄に貸してあげたことで、声も弾んでいました。兄もすでに友人から借りていた車の購入代金を、わざわざ勇士から借り直しました。兄に貸した次に、私に貸してあげると言ってきた時には、もっといい気分にさせてあげようと思って話に乗りました。
自分を奮い立たせている勇士に、間違いなく大きな負担になったのは、意にそわない引越しでした。それがまったく考慮されずに、勇士と家族のやりとりのせいでなお弱ったのではないか、とする原審の解釈は到底納得できません。
2つ目は、離婚による半額でした。
子供達を育てていくためには離婚しかなかったと、今でも思っています。しかし、両親の離婚という事実は、被告2社の賠償額を少なくしてしまうという結果になりました。全身の力が抜けるような衝撃でした。勇士の最期の顔が大きく浮かんで来て、絶対このままにしてはいけないと思いました。
父親の消息が分かった時、話をしようと決心しました。別れてから長い年月が経っていましたから、どのような人物になっているのか分かりません、大きな不安がありました。
彼は「俺にもまだ、勇士の為にしてあげることがあったのか」、そう言って絶句しました。“遺産相続放棄”を承諾してもらいました。
賠償額は、被告2社が痛みを感じ、大きく反省してもらうに足る額、そういう額でありたいです。
3.勇士も一緒に
勇士死亡から9年が経ち、請負や派遣労働者を取巻く情勢は大きく変わりました。弱い立場の皆さんが立ち上がり、支援の声も大きくなりました。政治や行政、国会の場で何度も取り上げられるようになりました。
私は、この裁判で公正な判決をいただき、今の流れの大きな後押しになりたいと願っております。
勇士を亡くしたくはなかった、抱きしめてあげられるほうが良かった、この思いは生涯残りますが、裁判から考えたことは皆さんが生きていく上でお役に立てる、その中で勇士も一緒に生き続ける、そう思うようになりました。
業務請負の考え方を見直し、派遣法を変える力を与えていただけますよう、同様事案の強靭な判例となれますよう、宜しくお願い申し上げます。
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