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勇士の死亡
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勇士は、2月26日から、会社を無断欠勤したようです。私も、その後、何度も電話をしましたが、連絡がとれませんでした。3月6日が私の誕生日だったので、3月7日に、勇士の留守番電話に、「昨日50歳になったよ〜」と入れておきましたが、何の返事もありませんでした。私は、連絡がないのは、勇士が突然の出張にいっているからか、と思いました。しかし、全然連絡がないので心配でたまらなくなり、3月10日に、ネクスターに勇士と連絡がつかないで心配しているということを伝えました。
勇士は、3月10日に、訪問したネクスターの人によって、一人暮しのアパートで自殺した姿で発見されました。23歳でした。健康のために野菜を摂ろうとして、勇士が直前に購入したホットプレートの電気コードで首をつっていました。
アパートのホワイトボードには「無駄な時間を過した」と書かれてありました。
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ネクスター・ニコンの勇士の欠勤についての対応
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ネクスターやニコンは、2月26日から勇士が無断欠勤したにもかかわらず、家族に何の連絡もよこさず、本人を訪ねたりもしませんでした。
そして、無断欠勤から二週間も経った3月10日に、ネクスターの担当者と上司の二人がそろって、勇士の部屋を訪れたところ、自殺した勇士を発見したということです。
S氏は、(第2回口頭弁論証人・元ネクスター営業)二人連れで訪れた理由について、「夜逃げする人もいるのでそういうことに対処するため」と言っていました。
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ネクスター・ニコンの勇士の死亡についての対応
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私は、勇士がどうして自殺したのか知りたくて、ネクスターに、「勇士がどれだけ働いたのかわかる資料を下さい」と要請しました。
しかし、ネクスターは、全く資料をくれませんでした。平成11年の6月17日、ネクスターのS氏に朝電話をしたところ、3ヶ月分の労働時間に関する資料を持ってきてくれるとのことでした。
ところが、私の長男のYO、三男のYAが、S氏に会ったところ、S氏は、
「あ、忘れた」
と言って、結局資料をくれませんでした。
たまたま、同席していたニコンのM氏が
「二ヶ月分ならもって来た」
と就業週報を見せたので、その資料を頂きました。その時、S氏は「しまった」という顔をしていたそうです。
その後、弁護士に頼んでネクスターと交渉しましたが、最初は、資料をくれるようなことも言っていましたが、結局、何の資料も見せませんでした。
就業週報を見ると、一月は(※正月休み明けにつき、出勤日は16日)97時間30分の所定労働時間に対し、時間外労働は77時間で、ものすごい残業をしていることがわかります。また、休日出勤をしていることやシフトが変更されていることもわかります。自殺する直前には15日間連続して勤務させられたこともありました。
就業週報は、M氏がくれたもの以外は、ニコン・ネクスターも証拠保全をするまで一切見せなかったものです。なぜ隠す必要があったのでしょうか。疑問でたまりません。
(※証拠保全について読んで下さる方に解説です。浦和地方裁判所・熊谷支部に証拠保全を申立て、ネクスター熊谷営業所にて検証していただきました。就業週報はその日、手に入りました。平成12年4月5日、勇士死亡から1年1ヶ月目でした)
6月22日に、私がMさん(※ニコン社員)と話した時に、Mさんは、「ニコンでは、はっきり言って勇士君は貴重な戦力だった。現場では、もし、仕事を断れば、やめるしかないと、勇士君が受け止める可能性はあったと思う。職場全体にリストラに対する動揺が走っていた頃で、彼の同僚も次々と対象になっていた。『次はお前』という話が飛び交っている時期だった」と言っていました。
また、この電話で、Mさんは、「3月4日に初めて勇士君の無断欠勤を知らされた。びっくりして、すぐにネクスターに電話し、S氏にすぐ行ってみてくれといった。ネクスターの回答は『ドアーを叩いたがいなかった。電話をかけても出なかった』であった」と話していました。 |