『控訴審・判決全文』


―判決(1〜10頁)―

平成21年7月28日判決言渡・同日判決原本受領 裁判所書記官

平成17年(ネ)第2265号 損害賠償請求控訴事件
(原審 東京地方裁判所平成12年(ワ)第14717号)
(口頭弁論終結日 平成20年9月16日)

判決
  (※以下に一審原告・一審被告の氏名・住所、各代理人氏名が記入されています。略)

主文
 
一審被告ニコンは、一審原告に対し、一審被告アテストと連帯して7058万9305円及びこれに対する平成11年3月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 
原判決主文第1項及び第2項のうち一審被告アテストに関する部分を次のとおり変更する。
(1)一審被告アテストは、一審原告に対し、一審被告ニコンと連帯して7058万9305円及びこれに対する平成11年3月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2)一審原告の一審被告アテストに対するその余の請求をいずれも棄却する。
 
一審原告が当審において追加したその余の請求をいずれも棄却する。
 
一審原告の一審被告ニコンに対する控訴及び一審被告アテストの控訴をいずれも棄却する(なお、原判決主文第1項のうち一審被告ニコンに関する部分は失効した。)。 
 
訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを2分し、その1を一審原告の負担とし、その余を一審被告らの負担とする。
 
この判決は、第1項及び第2項(1)に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由
第1 申立ての趣旨
 
一審原告の控訴
(1) 原判決を次のとおり変更する。
(2) ア (主位的請求)一審被告らは、一審原告に対し、連帯して1億4455万5294円及びこれに対する平成11年3月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
イ (予備的請求)一審被告らは、一審原告に対し、連帯して1億4455万5294円及びこれに対する平成12年8月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は第一、二審とも一審被告らの負担とする。
(4) 仮執行宣言
 
一審原告の当審における追加的請求
(1) (1(2)アの請求と選択的併合)一審被告らは、一審原告に対し、連帯して1億4455万5294円及びこれに対する平成11年3月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 訴訟費用は一審被告らの負担とする。
(3) 仮執行宣言
 
一審被告ニコンの控訴
(1)原判決中一審被告ニコン敗訴部分を取り消す。
(2)一審原告の請求をいずれも棄却する。
(3)訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする。
 
一審被告アテストの控訴
(1)原判決中一審被告アテスト敗訴部分を取り消す。
(2)一審原告の請求をいずれも棄却する。
(3)訴訟費用は第一、二審とも一審原告の負担とする。
第2 原判決(主文)の表示
 
被告らは、原告に対し、連帯して、2488万9471円及びこれに対する平成11年3月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 
原告のその余の請求をいずれも棄却する。
 
訴訟費用はこれを6分し、その5を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
 
仮執行宣言(第1項)
第3 事案の概要
 
本件は、一審被告アテスト(当時の商号は「株式会社ネクスター」であり、その後商号変更をしたが、その前後を通じて「一審被告アテスト」と呼称する。)に雇用されて、一審被告ニコンの熊谷製作所(以下、単に「熊谷製作所」という。)において就労していた上段勇士(以下「勇士」という。)が過重な労働等によりうつ病を発症しこれを原因として自殺したとして、勇士の母である一審原告が一審被告らに対し、勇士から相続したとする安全配慮義務違反(債務不履行責任)又は不法行為に基づく損害賠償請求権を選択的に主張して、その損害金及びこれに対する勇士が自殺した日とする平成11年3月5日からの民法所定の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める事案である。

 原審は、原判決(主文)の表示のとおり、一審原告の一審被告らに対する請求をいずれも一部認容し(原審は、責任原因としての安全配慮義務違反[債務不履行]及び不法行為の成立をいずれも認めたものの、最終的にいずれに基づく請求を認容したのか明示していない。しかし、認容された遅延損害金の起算日に照らせば、原審が認容したのは不法行為に基づく損害賠償請求権であると解される。)、その余をいずれも棄却したところ、当事者全員から控訴があった。また、一審原告は、当審において、一審被告らそれぞれに対する請求の併合形態を安全配慮義務違反(債務不履行責任)又は不法行為に基づく請求の選択的併合から、不法行為に基づく請求を主位的請求とし安全配慮義務違反(債務不履行責任)に基づく請求(附帯請求の起算日は、一審被告らそれぞれに対する支払催告日[訴状送達日]の翌日である平成12年8月4日である。)を予備的請求とする予備的併合に改めるとともに、不法行為に基づく請求と選択的に、一審被告らの使用者責任に基づく請求(請求内容は不法行為に基づく請求(請求内容は不法行為に基づくものと同一である。)をそれぞれ追加した(一審被告ニコンは、これらについて異議を述べなかった。また、一審被告アテストは、当審第3回口頭弁論期日において平成18年1月10日付け請求の趣旨及び原因変更に対する答弁書を陳述して、いったんは追加不許の申立てをしたものの直ちに撤回しその後は追加請求についても一貫して実質的答弁をしていることに照らせば、やはり異議を述べていないものと解せられる。)。

 
前提事実(証拠原因を提示しないものは争いのない事実である。)
(1)当事者(乙49)
ア 一審被告ニコンは、精密機械・器具等の製造、販売等を主たる業とする株式会社であり、熊谷製作所(埼玉県熊谷市大字御稜威ヶ原201-9所在)において縮小投影型露光装置(以下「ステッパー」という。)を生産していた。
 また、一審被告アテストは、電子計算機のソフトウェアー及び機能システム・プログラムの開発・設計・作成、事務用機器の操作・保守・維持管理等の労務の請負を業とする株式会社であり、熊谷製作所が所在する埼玉県熊谷市内に熊谷営業所(以下、単に「熊谷営業所」という。)を設けていた。
イ 勇士(昭和50年11月19日生)は、UHI(以下「HI」という。)と一審原告との間の子であり、平成9年10月27日、一審被告アテストと雇用契約を結んでその従業員となり、熊谷製作所の半導体露光装置品質保証部第二品質保証課成検係(その後、第1成検係)において、同日から平成11年2月25日まで主としてステッパーの完成品検査の作業に従事した。
(2)熊谷製作所における就業時間等(乙7)
ア 勇士が就労していた期間の熊谷製作所の一審被告ニコン従業員(いわゆる正規従業員をいう。以下同じ。)の通常勤務の就業時間は、就業規則によれば、午前8時30分から午後5時30分までの間の8時間(午後0時から午後1時までは休憩時間)であった。
 平成9年度(平成9年4月1日から平成10年3月31日まで)における通常勤務の一審被告ニコン従業員の年間所定休日は125日、同年度の年間所定労働時間は1920時間であり、平成10年度(平成10年4月1日から平成11年3月31日まで)における年間所定休日は126日、同年度の年間所定労働時間は1912時間であった。
イ 勇士が就労していた期間の熊谷製作所の一審被告ニコン従業員の交替制勤務の内容は、次のとおりであった。
(ア)勤務番を昼勤(A番)と夜勤(B番)に二分し、3班に分かれた従業員が定められたローテーション(勤務割)に基づきいずれかの勤務番に当たる(3組2交替制)。
(イ)昼勤(A番)午前8時30分から午後7時30分までの9時間45分勤務(休憩時間は午後0時から午後1時まで及び午後5時30分から同時45分まで、リフレッシュタイムは午後3時から同時10分まで) 
  夜勤(B番)午後8時30分から翌日午前7時30分までの9時間45分勤務(休憩時間は午前0時から午前1時まで及び午前5時30分から同時45分まで、リフレッシュタイムは午前3時から同時10分まで)
(ウ)勤務番のローテーション(勤務割)は次のとおりであり、就業規則上、3週間で1サイクルとなることが定められていた。

I
夜勤
夜勤
夜勤
休日
休日
休日
休日
II
昼勤
昼勤
休日
夜勤
夜勤
夜勤
休日
III
休日
休日
昼勤
昼勤
昼勤
昼勤
休日


1週目
2週目
3週目
1班
I
II
III
2班
II
III
I
3班
III
I
II

(3)ステッパー及びその検査(乙9、10、49、弁論の全趣旨)
ア ステッパーは、超LSI等の半導体製品の製造工程で0.25μm以下という解像度が必要とされる超微細な回路パターンを露光し、半導体基盤(ウェハ)に転写するため用いられる装置である。その基本的仕組みは、回路パターンが描かれているガラス製原版(レチクル)にレーザー光線等の強烈な光を当て、更に縮小投影レンズを通してパターンを縮小し、感光材を塗布したシリコン等の薄板(ウェハ)の表面に回路パターンを次々と焼き付けて転写していくというものである。
  ステッパーの本体は、光線を調節するためのレンズが複数組み合わされた照明光学系、心臓部である縮小投影レンズ及びウェハを載せる平らな台であるステージから成り、それに加え、レチクル及びウェハを自動交換する装置や位置合わせ等の際に用いられるセンサー、検査器具等が付属している。そして、これらの装置は、じんあいを防ぎ、温度及び湿度を一定に保つため、チャンバーと呼ばれる金属の箱で覆われている。
  ステッパーの制御、各種データの測定等はチャンバーの外側に付属する制御ラックに備え付けられているパソコン(以下「付属パソコン」という。)で行われる。
イ 熊谷製作所におけるステッパーの生産工程はおおむね次のとおりであった。
(ア)縮小投影レンズ、ステージ等各部(ユニット)の組立工程
(イ)ステッパー本体の組立工程(各ユニットの組み付け)
(ウ)製品を正常に作動させるための調整工程
(エ)製品が正常に機能するか確認する社内検査肯定
(オ)製品の発送手配
(カ)製品の出荷工程
ウ ステッパーの納入先における工程はおおむね次のとおりであった。
(ア)製品の搬入・据付け
(イ)製品を正常に作動させるための調整工程(約4〜6週間)
(ウ)製品が正常に機能するか確認する検査工程
(エ)検査成績書に基づく顧客への報告・説明
(オ)製品の引渡し
エ ステッパーの完成品検査には一般検査とソフト検査があり、一般検査は、製造工程で組み立てられ、調整された製品の精度等を検査するものであり、製品の出荷前に熊谷製作所において行われる社内検査と、納入先への搬入・据付け後引渡し前に行われる納入検査とがある。
  検査作業においては、検査の進行状況について検査担当者同士あるいは設計担当者等の関係者との間で情報を共有するため、電子メールによる情報交換が行われていた。
(4) 勇士の自殺(甲1、弁論の全趣旨)
勇士は、平成11年3月10日、埼玉県熊谷市●●●所在の自宅ワンルームマンション居室(CH103号室。以下「本件居室」という。)内にて自殺体で発見された。ST病院のST.A医師は、同日、勇士の遺体を検案し、その死亡推定日を同月5日ころと診断した。
(5)遺産分割協議の成立(甲161)
 一審原告とHIとの間に、平成18年2月20日、勇士の一審被告らに対する損害賠償請求権を含むすべての遺産を一審原告が取得するとの内容を遺産分割協議が成立した。
(6)消滅時効援用の意思表示(顕著な事実)
ア 一審被告アテストは、一審被告アテストに対する本件訴求債権のうち勇士の遺産分割協議により一審原告がHIから取得したとする部分について、一審原告に対し、平成18年4月18日の当審第4回口頭弁論期日において陳述した同月10日付け第4準備書面によって、消滅時効を援用する旨の意思表示をした。
イ 一審被告ニコンは、一審被告ニコンに対する本件訴求債権のうち勇士の遺産分割協議により一審原告がHIから取得したとする部分について、一審原告に対し、平成18年6月15日の当審第5回口頭弁論期日において陳述した同月8日付け第3準備書面によって、消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

第4 争点及びこれに関する当事者の主張
 本件の争点は、<1>業務と死亡との間の因果関係の有無、<2>一審被告ら又はその被用者の注意義務違反・安全配慮義務違反の有無、<3>損害額、<4>責任の阻却、過失相殺、いわゆる素因減額等の当否及び<5>消滅時効の成否であり、<1>については業務の過重性が、<2>については予見可能性が主として争われている。
 争点に関し当事者は、次のとおり主張している。
 
業務と死亡との間の因果関係の有無(争点1)
 (一審原告)
(1)勇士は、熊谷製作所における過重な業務や心理的負荷によってうつ病を発症し、その結果自殺するに至ったものであり、勇士の業務とうつ病の発症、憎悪との間、ひいては勇士の業務と自殺との間には相当因果関係がある。
(2)業務の過重性を判断するに当たっては、労働時間や勤務の不規則性、拘束性、交替制勤務、作業環境等の諸要因のほか、業務に由来する精神的緊張を総合的に考慮すべきところ、次のとおり、勇士の業務はうつ病を発症する程度に過重なものであった。
ア 勇士の勤務時間、勤務形態等
 勇士は、熊谷製作所において、平成9年12月15日から平成10年12月までは、基本的には一審被告ニコン従業員の交替制勤務と同様の勤務シフトでステッパーの一般検査に従事し、平成11年1月からはソフト検査にも従事しており、途中二つの仕事を掛け持ちしていたこともあった。
 勇士の勤務開始からの熊谷製作所での勤務の状況は、一審被告ニコンの算出によっても次のとおりであり、これによれば、平成10年2月から平成11年1月までの1年間の労働時間は一審被告ニコン従業員の交替制勤務者の所定労働時間1872時間を上回る2166時間であり、時間外労働及び休日労働は、平成10年7月は100時間、平成11年1月は77時間もあった。一審被告ニコンの算出の労働時間は実際の時間よりも少なく、勇士は、これ以上の勤務をしていたものと推定される。
(ア)平成9年12月15日交替制勤務開始から平成10年2月まで
a  勇士は、熊谷製作所で稼動を始めてから約1か月半後である平成9年12月15日以降、交替制勤務に組み入れられた。勇士は、同月14日に休日出勤して8時21分から19時6分まで働いた後、翌15日からいきなり3日連続の夜間勤務を行った。この3日間連続夜間勤務は、20時30分から翌日7時30分までの拘束時間11時間、所定労働時間9時間45分という長時間夜勤労働であり、同月15日には所定労働時間を超えて1時間の時間外労働を行い、深夜帯を含む12時間労働となっている。
  同月には、25日、26日にも連続した夜間勤務があり、同日には1時間の時間外労働が付加されている。
b  平成10年1月には、8日から10日まで、19日から21日まで、29日から31日までと3回も3連続夜勤があった。