『控訴審・判決全文』


―判決(180頁・後4行〜194頁・最終)―


その上で、一審被告ニコンに対し、その差し止めあるいは是正を求め、必要に応じて勇士の労働者派遣を停止することによって、勇士のうつ病発症を未然に防ぐことができたのに、上記の注意義務違反によってこれをすることができず、その結果、過重な労働等が行われ、そのことに起因して勇士がうつ病を発症し、それによって勇士が自殺をするに至ったというべきであるから、以上によれば、一審被告アテストには上記の注意義務違反の過失が認められる(また、上記の経過が特別なものとは認められないから、この過失と勇士の死亡との間に相当因果関係を認めることができる。)。

(4) この点、一審被告アテストは、使用者に予見可能性を認めるには、不法行為責任が結果に対する過失責任を問うものである以上、結果に対する具体的予見可能性、すなわち、うつ病により自殺する可能性までの予見が必要というべきであるなどと主張している。しかし、上記注意義務は派遣労働者の心身の健康が損なわれるおそれに対するものであるから、この場合の結果とは心身の健康が損なわれることであり、予見の対象は心身の健康が損なわれることで足りるというべきこと、うつ病を発症し自殺に至るということは心身の健康が損なわれるおそれが具体化したものであること、過重な業務等によって心身の健康が損なわれる場合の一態様としてうつ病を発症し自殺に至ることが通常あり得ることは既に説示したとおりであり、過重な業務等に対する認識可能性があれば、この点の予見可能性を認めることができるというべきである。

 また、一審被告アテストは、本件では常軌を逸した過重労働は存在せず、業務に内在する危険性を根拠に予見可能性を論じることはできないなどと主張しているが、常軌を逸した過重労働が存在しないなどといえないことは既に説示したとおりである。

一審被告らの責任について
 以上によれば、一審被告ニコンの被用者であるKKが一審被告ニコンの事業の執行について勇士に損害を加えたといえるから、一審被告ニコンは、その使用者として、勇士の死亡による損害を賠償する責任を負う。また、一審被告アテストには、勇士の死亡について不法行為が成立するから、これによる損害を賠償する責任を負う。
 そして、以上は民法719条1項の場合に当たるから、これらの一審被告らの責任は不真正連帯の関係に立つ。

損害額について
(1) 逸失利益 4338万9305円
  以上によれば、当時23歳の勇士が自殺に至らなければ、67歳までなお44年間稼働し、その間を通じ平均して勇士と同じ学歴の平均的な労働者が得るであろう収入を得ることができたものと認められるから、その逸失利益の勇士の死亡時点での現在価額を、当裁判所に顕著な平成19年度賃金構造基本統計調査第1巻第1表産業計・企業規模計による高専・短大卒の男性労働者の全年齢平均賃金491万3100円を基礎として、5割の割合による生活費控除を行い、ライプニッツ方式により年5%の割合による中間利息を控除して算出すると、次の算式のとおり4338万9305円となる。
  
(算式) 4,913,100×( 1−0.5 )×17.6627
     = 43,389,305 (小数点以下切り捨て)
 
この点、一審原告は、勇士が難易度の高い東京都立大学(現在の首都大学東京)の工学部電気工学科に進学し、卒業を間近に控えた大学4年生の秋に中退しており、取得した27単位のうち9単位を除いていずれも成績は優であったこと、熊谷製作所においても勇士の優秀さは高く評価され、一審被告らの関係者も勇士の優秀さを認めていること、今日の企業社会では能力主義が一般的に採用され、特に技術的専門的業務に従事する者については大学卒業資格の有無よりも能力が重視される傾向が強いこと、勇士が実際に得ていた収入は少なくとも年441万6132円であり、平成11年度賃金構造基本統計調査による23歳大卒男子の平均賃金を100万円以上も上回っていることからすれば、勇士の賃金獲得能力は我が国における平均的な大卒男子の水準を下回るものではなかったと主張しているが、勇士が大学を卒業しておらず、また、大学を中退した際に卒業に必要な単位の修得ができていなかったことは既に説示したとおりであり、

さらに、勇士が得ていた賃金が23歳大卒男子の平均賃金を上回っていたとしてもこれがいわゆる非正規雇用としての労働者派遣によったものであることにかんがみれば、勇士がその稼働可能期間を通じて平均して平均的な大卒男子労働者が得るであろう収入を得ることができたとまでいうことは困難である。
 また、損害賠償額の算定に当たり被害者の将来の逸失利益を現在価額に換算するために控除すべき中間利息の割合は、民事法定利率によらなければならないというべきところ(最高裁平成17年6月14日第三小法廷判決・民集59巻5号983頁参照)、その場合の控除の方法について、一審原告は、単利計算によるホフマン方式によるべきであると主張している。しかし、この場合の中間利息控除の方法としてライプニッツ方式によることは不合理なものとはいえず(最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1500頁参照。なお、この判例が上記平成17年判決によって変更されたものでないことは、同判決が小法廷の判決であることから明らかである。)、

消極的損害の損害額の算定においてはできるだけ蓋然性のある額を算出するように務め、この蓋然性に疑いが持たれるときは被害者側にとって控え目な算定方法によるべきであるとの観点(最高裁昭和39年6月24日第三小法廷判決・民集18巻5号874頁)に立てば、逸失利益の算出の基礎となる収入額として高専・短大卒の男性労働者の全年齢平均賃金額を置くこと(本件全証拠によっても、勇士が現実に同額の収入を得ていたことまでは認められない。)との対比からしても、本件における中間利息控除の方法は、ホフマン方式ではなく、ライプニッツ方式によるのが相当というべきである。

(2) 勇士の慰謝料 2000万円
 以上に認定の事実を加え、本件口頭弁論に現れた一切の事情を総合考慮すれば、本件の不法行為による勇士の慰謝料はこれを2000万円とするのが相当である。
 なお、一審原告は、一審原告固有の慰謝料を主張しているが、これが当審において主張されるに至ったものであること等の本件訴訟の経過に加えて、勇士に認められる慰謝料の額(その額の算出に当たっては一切の事情のひとつとして近親者の精神的苦痛の点も考慮されている。)を考慮すれば、これとは別途のものとして一審原告固有の慰謝料を認めることは相当とはいえない。

(3) 葬儀関係費用 120万円
 勇士が死亡した事実から120万円程度の葬儀関係費用を必要としたことを推認することができ(この推認を覆すに足りる証拠は見当たらない。)、これは相当損害と認められる。

責任の阻却、過失相殺、いわゆる素因減額等の当否について
(1) 責任の阻却について
 一審被告ニコンは、労働者は労働契約上の義務として自己保健義務を負っているところ、勇士が体調不良を訴えることなく就労を継続したことは、この義務に違反する対応であるなどとして、その責任の阻却又は大幅な減殺を主張している。
 しかし、勇士と一審被告ニコンとの間に労働契約が締結されたことの証拠はないから、この主張は前提を欠き失当である。

(2) 過失相殺について
ア 一審被告アテストは、勇士の自殺の主たる原因は、親族らによる金銭さく取という事情にあり、そのことに加え、資格試験の受験勉強が勇士にとって相当程度の心理的負担となったことから、大幅な過失相殺をすべきであると主張しているが、勇士の自殺の主たる原因が親族らによる金銭さく取という事情にあるといえないことや資格試験の受験勉強が勇士にとって相当程度の心理的負担となったともいえないことは既に説示したとおりであるから、この主張は失当といわざるを得ない。

イ また、一審被告アテストは、一審原告ら勇士の親族は、勇士の身体的変調を認識していたにもかかわらず、勇士に受診を勧めることをしていないばかりか、勇士の寮を訪れたり、勇士に休暇取得を勧めたりもしていないと主張しているが、一審原告や勇士の兄弟らが勇士の身体的変調を認識していたことを認めるに足りる証拠はないから(一審原告の陳述等及び丙第20号証はその裏付けとなるものが存する場合以外は採用できないことは既に説示したとおりであり、この場合における裏付けは見当たらない。)、この主張は失当といわざるを得ない。

ウ さらに、一審被告アテストは、身体的変調を来していたにもかかわらず、勇士自身が何ら医療機関を受診していないと主張しているが、勇士が何ら医療機関を受診していないとまで認めるに足りる証拠は存しない。

エ 加えて、一審被告アイデンティティーは、勇士のうつ病発症から自殺までは比較的短期間であり、一審被告アテストの結果回避可能性はきん少であったなどと主張している。しかし、勇士のうつ病発症から自殺までが比較的短期間であったとしても、そのことと一審被告アテストの過失の重大性とは直接関係しないから、この主張は失当といわざるを得ない。

(3) 素因減額について
 一審被告アテストは、執着性格といったストレスぜい弱性を勇士が有していたため、通常の労働者であれば精神障害を発症しない程度の心理的負担によってうつ病を発症したと考えるのが相当であり、一見して過重な業務が存在しない本件においては、労働者の個性の多様性を実質的に検討した上で使用者の責任の程度が検討されるべきであって、勇士のこのストレスぜい弱性に応じて素因減額が行われるべきであると主張しており、HS.T及びTM.Tの意見書(乙106、107)にはこれに沿う記載があり、当審証人TMの供述中にはこれと同旨の部分がある。
 しかし、勇士のうつ病発症が通常の労働者であれば精神障害を発症しない程度の心理的負担によったものであるとも、本件において一見して過重な業務が存在しないともいうことができないことは既に説示したところから明らかである。そして、勇士が非常にまじめで責任を持って仕事をする人物であったことは既に説示したとおりであるが、

こうした勇士の性格あるいはこれに基づく業務遂行の態様等が損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような場合に、当該業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するの当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を心因的要因としてしんしゃくすることはできないというべきであるところ(最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)、勇士のこうした性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものとまで認めるに足りる証拠はない。これらによれば、一審被告アテストの上記主張は失当である。

(4) 信義則違反又は証明妨害による責任の否定又は減軽について
 一審被告アテストは、一審原告の本件訴訟提起及び追行には極めて不可解な点があり、これらは一審原告の信義則違反又は証明妨害と評価せざるを得ないから、一審被告アテストの責任は否定されるか、減軽されるべきであると主張している。
 しかし、勇士の自殺について労働者災害補償保険の給付の請求をしていないことや前後矛盾する主張あるいは陳述及び供述を繰り広げること、主張を改めたことについて説得力のある説明をしないことが何ゆえ信義則違反又は証明妨害となるのか一審被告アテストの主張は理解不能といわざるを得ない。また、一審被告アテストの求めに応じてパソコンを提示せず、また、その提示をしない理由について信用できない弁解をすることについても、一審被告アテストが一審原告に対して任意の提示を求めたにとどまり、例えば一審原告がいったんその提示を約束したもののそれを反故にしたといった経過が一切ない本件において、

一審原告がその求めに応じなかったとしてもこれを直ちに訴訟上の信義則違反ということはできないし、このことは提示できない理由が信用できるか否かによって左右されるものではない。また、当該パソコンのハードディスク等に保存されているというファイルを証拠として申し出ようとするのであれば、民訴法に用意された手段を使うこともできたのに(例えば、同法232条又は231条・221条の申立てをすることは十分に考えられることである。)、一審被告アテストがこれをしていないことに照らしても、一審原告のそうした対応が証明妨害であるとまでいうことは困難である。
 結局、一審被告アテストの上記主張は失当といわざるを得ない。

10

消滅時効の成否について
(1) 以上によれば、勇士は一審被告ニコンに対して使用者責任に基づき、一審被告アテストに対して不法行為に基づき、その死亡に基づく損害に係る損害賠償請求権をそれぞれに取得したところ、その死亡によって開始した相続によって、金銭債務として可分なこれらの損害賠償請求権は、勇士の法定相続人である一審原告及びHIにそれぞれ2分の1の割合で取得されたというべきである。
 そうしたところ、一審被告らは、HIが相続した分の損害賠償請求権について民法724条前段の3年間の消滅時効の成立を主張しているので、次にこの点について検討する。

(2) この消滅時効の起算点は、被害者が損害及び加害者を知った時であるところ、一審被告ニコンは、本件訴訟提起の初期段階からHIが損害及び加害者を知っていたと主張しており、一審被告アテストは、HIが遅くとも一審原告とHIの遺産分割協議日の3年前の対応日の前日である平成15年2月19日までに勇士がその業務に起因して自殺したことを知っていたと主張している。
 しかし、当審証人HIは、法廷で、平成12年9月25日に●●県の実家に帰った後2、3日してから母である●●●から聞いて勇士が死亡したことを知ったが、その際に死因は聞いておらず、本件訴訟が行われていることは平成16年1月から平成17年3月31日までの間のどこかの時点で▲▲(※親族)から届けてもらった本件訴訟のことが記載されたホームページのプリントアウトの書面を見て知った、同日言い渡された原判決については地元の南日本新聞に記事が掲載されたことを●●●(※母)から教えてもらい知ったと供述しているところ、この供述を虚偽を述べたものであるとして排斥することはできない(当審証人HIは、勇士が死亡したことを知ったのにその原因を知りたいと思わなかったのか問われて、

一審原告と離婚をし、勇士が幼いときに別れて年数も経っていたから、一審原告にコンタクトを取っていいかどうかしゅん巡があり、結局コンタクトを取らなかった旨答えており、同証人の供述から平成2年11月に一審原告と離婚した後、HIが一審原告及び勇士らとの接触を忌避していた経過がうかがえることや●●●(※母)が平成12年9月当時勇士の自殺やその経緯を知っていたことの証拠は見当たらないことにも照らせば、この応答を信用できないとまでいうことはできない。また、一審被告アテストは、HIが平成11年5月以降母親を通じて勇士の死亡を知ったはずであると主張しているが、そのこと自体の証拠は見当たらないし、この推測を合理的であるとする事情も認められない。一審被告アテストは、保存行為を理由とする勇士の損害賠償請求権の単独行使の主張が認められない場合に備えて一審原告がHIと連絡を取り、本件訴訟提起を伝えていたはずであるとも主張しているが、一審原告がそうした連絡を取ったこと自体の証拠は見当たらず、この推測を合理的であるとする事情も認められない。なお、HIの住民登録の推移から、当審証人HIの上記供述を弾劾することは困難である。)。
 そうすると、HIが本件訴訟提起の初期段階から損害及び加害者を知っていたとも、遅くとも平成15年2月19日までに勇士がその業務に起因して自殺したことを知っていたとも認めることはできないから、一審被告らの消滅時効の主張は、その余の点を検討するまでもなくいずれも理由がない。

11

弁護士費用相当損害等について
 以上によれば、本件と相当因果関係のある弁護士費用相当損害は600万円とするのが相当である。また、一審原告とHIとの間に、平成18年2月20日、勇士の一審被告らに対する損害賠償請求権を含むすべての遺産を一審原告が取得するとの内容の遺産分割協議が成立したことは前提事実として説示したとおりであるから、この結果、一審原告は、勇士の一審被告らに対する損害賠償請求権をすべて取得したというべきである。

12

まとめ
 以上の次第で、一審原告の一審被告らに対する損害賠償請求(一審被告ニコンに対しては使用者責任に基づく請求[当審において追加された選択的請求]であり、一審被告アテストに対しては不法行為に基づく請求である。)は、損害金7058万9305円及びこれに対する平成11年3月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める範囲でいずれも理由があり、その余はいずれも理由がない。また、これらの請求と選択的併合の関係に立つ不法行為又は使用者責任に基づく請求がこの範囲を超えて理由がないこと、加えて、それらの請求と予備的併合関係に立つ安全配慮義務違反(債務不履行)に基づく各請求についても同様であることは、勇士の死亡による損害について既に説示したところから明らかである。

 なお、一審原告の平成15年12月12日付け文書提出命令の申立て(東京地方裁判所同年(モ)第16208号)については、原審で黙示的に却下されているとも解されるが、一審原告がなおも維持しているので、当審において、証拠調べの必要がないからこれを念のために明示的に却下しておくこととする。

第6

結論
 よって、一審原告の一審被告ニコンに対する使用者責任に基づく請求(当審において追加された選択的請求)を上記の範囲で認容し、その余を棄却し、また、一審原告の一審被告ニコンに対する控訴を棄却することとし(もっとも、一審被告ニコンに対する請求のうち使用者責任に基づくものが一部認容されたことによって不法行為に基づく請求[一部認容された内容と同一の支払を求める範囲に限る。]が当然に失効したことに伴い、一審原告の一審被告ニコンに対する控訴のうち使用者責任に基づく請求のうち棄却された部分と同一の支払を求める部分以外に関する部分は失効している。また、同じ理由から、一審被告ニコンの控訴は失効したものと解される[最高裁昭和39年4月7日第三小法廷判決・民集18巻4号520頁参照]。)、他方、上記と異なる原判決の一審被告アテストに関する部分は不当であるからこれを変更し、

当審において追加された一審被告アテストに対する使用者責任に基づく請求を棄却し(もっとも、この請求のうちこの変更により認容された内容と同一の支払に関する部分は解除条件の成就により失効している。)、一審被告アテストの控訴はもとより理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。なお、原判決主文第1項のうち一審被告ニコンに関する部分は、一審被告ニコンに対する使用者責任に基づく請求の一部認容に伴い当然に失効したから、念のため、その旨を主文に注記することとする(厳密にいえば、原判決主文第2項のうち一審被告ニコンに関する部分にも同じ理由から失効した部分があるが、これを注記しても煩雑にわたるだけで意味はないから、原判決主文第1項に関する限りにとどめることとする。)。

    東京高等裁判所第24民事部

       裁判長裁判官  都 築   弘

          裁判官  小 海 隆 則

裁判官園部秀穗は、転補につき署名押印できない。
       裁判長裁判官  都 築   弘


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