『原告最終準備書面』


(2)
勇士の写真
パスポートの写真(甲36 )は、勇士が第1回の台湾出張(平成10年3月)に行くために作成したパスポートの写真である。このパスポートの写真の勇士は、目の周りに隈ができており、頬もやせこけ、顔色も悪い。また、このパスポートの写真と平成9年10月23日撮影の写真(甲37上)、平成7年8月頃撮影の写真(甲37下)と比較すると、明らかに勇士はやせこけ、顔色も悪いことがわかる。
 履歴書(丙18)の写真は、白黒のため被写体が見づらいが、パスポートの写真のように、目に隈があったり頬がやせこけたりはしていない。もっとも、この履歴書の写真は、勇士の高専時代前半(16、17歳頃)の写真であり(甲101、20頁)、相当古いものを使用したものであり(原告証言速記録(2)46頁)、成長期にある勇士のその後の成長を考慮すると比較の対象とするのは不適切である。

勇士死亡直前における被告らの対応
 以下、勇士が、退職を申出てから、無断欠勤をして、自殺体で発見されるまでの平成11年2月18日から3月10日までの状況及び被告らの対応について述べる(甲61、31-36頁)
 
(1)
2/18〜2/20(休日)
 勇士は、東京の実家に帰省した。この時、風呂上りの体重は52キロであった。勇士は、原告に「理科の簡単なものがわからなくなっている」と訴え、「ネクスターを退職する決意を固めた」旨を述べた。
 翌21日は所定休日ではあったが、勇士は、「21日は仕事が入ったので20日までしかいられない」と言って、熊谷のアパート「B」に帰っていった。
 
(2)
2/21(休日)
 この日、勇士は休日出勤をして、7時間の勤務をした。
 勇士は、原告との電話で「7時間もかかったので疲れた」と話した。
 
(3)
2/22(欠勤:本来は2交替昼勤)
 勇士は、被告ニコンに連絡のうえ欠勤した。
 
(4)
2/23 (欠勤:本来は2交替昼勤)
 この日も、勇士は、被告ニコンに連絡のうえ欠勤した。
 勇士は、被告ネクスターに退職の申出をした。そして、電話で、原告に「退職のことを話した。明日、係りの人がきて、話し合う」と話した。
 
(5)
2/24(休日)
 被告ネクスターのE証人が、勇士の部屋を訪問し、玄関先で話をした。その訪問時に、勇士は、被告ネクスターを辞めたいと申出た。これに対して、E証人は、「今すぐこの場で『はい』とは返事ができないと。必ずニコン側と打ち合わせをした上で決定するんで、今の話は受けるけれども、今月一杯というのはちょっと難しいという話をしました。」と証言する(E証言速記録11頁)。
 E証人によると、勇士は、退職申出の際に、国家試験のために勉強する時間が欲しいということと、運転免許の取得をしたいということを退職理由として挙げていたが、E証人は、退職理由についてはプライベートの問題と考え深く突っ込んで尋ねることはしなかった(E証言速記録11頁)。
 この時のE証人とのやりとりについて勇士は、原告との電話で、「ネクスターははっきりしない。3月15日まで働いてくれといっている。『聞いてみるから待ってて』って言うんだよ。」と述べ、退職がかなり先になることになって、明らかに落ちこんでいた。勇士は、「明日の夜勤でニコンから話があると思うから、そのとき、はっきり言う。次の仕事は就職雑誌で良く研究するから」と話した。
 このように、勇士は、被告ネクスターに退職の申出をしたが、退職について明確な回答を得られなかったため、過重な労働から解放される最後の逃げ道も塞がれることとなった。E証人が被告ニコンと勇士の退職日を協議の上一応の決定をするのは、これから8日後の3月3日であった。
 
(6)
2/25(2交替夜勤)
 勇士は、夜勤前に、原告と電話で話し、「兄ちゃんのところに荷物置けるのはうれしい。退職の日時が決まったら即、荷物を送る。荷物が多いのでほとんど千葉(兄)に送る。俺は、東京で運転免許を取る(王子自動車教習所)。雇用保険の事も聞いてみるから。頑張るよ。」と述べた。
 そして、夜勤に従事した。なお、この日が、熊谷製作所における勇士の最終作業日となった。
 
(7)
2/26(無断欠勤:本来は2交替夜勤)
 勇士はこの日に無断欠勤をした。
 勇士は、夜勤明けの朝に原告に電話をし、「夕べ、ニコンから退職の話しがあるかと思ったら何もなかった」とだけ話した。その時の様子は、非常に、がっかりし、落ちこんだ様子であった。
 E証人が、被告ニコンに勇士の退職希望を伝えたのは3月3日であるから、この時点で被告らが勇士の退職申出について検討・対応していなかったことは明らかである。
 この日、勇士は、被告ニコンに連絡せずに無断欠勤した。
 
(8)
2/27(無断欠勤:本来は2交替夜勤)
 勇士はこの日も無断欠勤をした。
 原告が、祖父母の様子を見るため、東京から岩手に向かうので電話連絡すると、「今から夜行なんだね」と、元気のない声で話した。会話は短く終わった。この日も無断欠勤している。
 
(9)
2/28(休日)
 原告は、朝、勇士と電話で話した。乗った夜行バスが大雪で大幅に遅れたことを話しても、普段はたくさん話を聞いてくれる勇士が「そう、無事で良かった」と短く答えたきりであった。
 原告が、勇士の声を聞いたのは、これが最期であった。
 
(10)
3/1、3/2(休日)
 3月2日に、原告が、勇士の電話に留守電を入れるも返答はなかった。
 
(11)
3/3(無断欠勤:本来は2交替昼勤)
 勇士は無断欠勤をした。本日で、既に無断欠勤をするのは3日目であったが、勤務先の被告ニコンから勇士の自宅への訪問はもちろん、被告ネクスターへの連絡もされていない。なおG証人は、この頃に部下に電話を掛けさせた旨を証言するが(G証言速記録52頁)、被告ネクスターにすら電話をしていないのであるから、この時期に電話をしたとする証言は信用できない。
 E証人は、勇士の退職申出から8日も経過したこの日に、ようやく被告ニコンの派遣会社窓口担当のNに対して初めて報告した(丙5。乙65、7頁)。その報告時に、E証人は、Nから、勇士が無断欠勤していることを初めて聞いた(E証言速記録13頁)。それまで、E証人は勇士が無断欠勤していることを知らず、それまでに特に何もしていなかった(E証言速記録13頁)。
 Nは、E証人の報告を受けて、第二品質保証課のZと相談し、E証人に対して、勇士に4月15日まで残ってもらいたいという連絡をした(乙65、9頁)。これに対して、E証人は「本人にもう一度相談して、確認を取ります。」と返答した(甲73、3頁)。
 E証人は、この日、勇士の自宅に電話を入れたが連絡がつかず、留守番電話に連絡をしてもらいたい旨のメッセージを入れた(丙5。甲73、3頁)。
 
(12)
3/4〜3/6 (無断欠勤:本来は2交替昼勤)
 この期間、勇士は、引き続き無断欠勤をした。
 3月4日の日付の入った、銀行預金の引出明細とコンビニのレシートが発見されている。
 3月5日が死亡推定日である。
 
(13)
3/7(休日)
 
(14)
3/8〜3/9(無断欠勤:本来は2交替夜勤)
  この期間、勇士は無断欠勤をした。
 
(15)
3/10(無断欠勤:本来は2交替夜勤)
 この日、勇士は無断欠勤をした。
 原告は、勇士が出張中かと思いつつも、心配になって被告ネクスターに電話した。この電話を受けて、E証人は被告ネクスターの上司であるAzと共にアパートBを訪問することとした。
 勇士は、訪問したE証人及びAzによって、アパートBにて、自殺体で発見された。
 被告ネクスターの担当者であったE証人は、2月26日に勇士が無断欠勤してから約2週間経過しているにもかかわらず、その間特に何もしていなかった。その理由について、E証人は「取引先がニコンだけではなかったので、ほかの業務に多分、追われて行けなかったんだと思います。」と証言する(E証言速記録14頁)。さらに、E証人は「無断欠勤しているということを知っていたけれども、その後ちょっとフォローをしていなかったと、こういうことですか。」という反対尋問に対して「そうですね。」と証言している(E証言速記録51頁)。
 被告ニコン側の対応について述べれば、G証人は、無断欠勤している勇士に対して、部下に数回電話を掛けさせた旨を証言するが(G証言速記録52頁。なお、この証言の信用性がないことは前述のとおりである)、誰かを自宅に訪問させるということはせず、「総務に報告して、Nさんがネクスターに連絡するということで、そういうふうに、要するにそっちのほうの対応でやってくれるというふうに私は解釈してたんですけれども。」と証言し(G証言速記録54頁)、総務のNに対応を任せていたと述べている。
 しかし、そのNも、3月3日に、E証人に対応を一任したと考えており(乙65、9頁)、3月10日になるまで、勇士のことについてE証人と話をすることはなかった(乙65、10頁)。
 このように、被告ニコンでは、勇士の無断欠勤に対して、責任がたらい廻しにされ、何らかの適切な措置が採られることはなかった。

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