『原告最終準備書面』


第2
争点
 事実関係のうち、原告と被告らとの主張が食い違う主なものについて、以下に取り上げる。
リストラの有無
 
(1)
平成10年の大規模リストラ
 勇士は、平成10年8月4日、勇士の周囲で次々に解雇者が出たため、原告に「同期の人が全部解雇が決まった。この前からリストラの話は出ていたけど。来月自分もそうなるかもしれない。」と述べ(甲61、13頁)、次は自分がリストラされる番かもしれないと「解雇通告への不安」を持っていた。
 これに対し、被告らはこの時期に大規模なリストラが行われ、勇士に不安を与えたことを否定している。
 
(2)
G陳述書
 しかし、G陳述書(1)には、「平成10年春先のことですが、前年から低迷しつつあった半導体不況が長期化する見通しとなったことを受け、経営対策として、職場に様々な経費削減が指示されました。その一環として、請負や派遣社員数の縮小方針が打ち出され、職場の管理者にも伝達されました。(中略) 第二品質保証課成検係の請負・派遣社員は、平成10年初め頃には50名位いましたが、会社から契約終了としたのは、上期6名(7月末に1名、8月末に2名、9月末に3名)、その後12月末に6名です。」と陳述されている(乙49、40頁)。このように、50名いた請負・派遣社員の内12名もの人員が、平成10年に被告ニコンの都合でリストラされている。即ち5人のうち1人が会社都合によりリストラされたのである。
 また、G陳述書(1)には、平成10年1月から6月までの間に自己都合で退職する者が7名いたということであるが(乙49、40頁)、どこまで任意の退職かは疑問の余地があるし、自己退職者がいなかったのであれば、契約を打ち切る人員が増えていたはずである。下期も同数の自己都合退職者がいると想定すると、最終的には、熊谷製作所の請負・派遣社員は約半分の25名程度まで減少したはずである。仮に下期に誰も自己都合退職していないと仮定しても、30人程までに減少していることになる。これほどまでの人員減少は、大規模なリストラと評価せざるを得ない。
 
(3)
Byの契約解消
 また、実際に、勇士とアパートで同室であったByは、平成10年9月ころニコン熊谷製作所での勤務を解除され、被告ネクスターの新潟営業所に転勤となり、Pコーポ206号室から転出している。被告ネクスター元従業員F(以下「F証人」という)も、平成10年9月に、被告ネクスターから退職するように命じられている(F証言速記録9頁。乙49、40頁)。
 
(4)
K.Tのリストラ(※勇士死亡1年後に、心筋梗塞で死亡した青年)
 なお、K.Tも、平成11年1月10日に一度被告ネクスターを退職(※この後、数ヵ月後に再就職し、再度ニコンに配属され、死亡する)しており(丙12)、この退職についてE証人は、「生産減に伴って人員削減があったときの対象者という形になっておりまして」と証言している(E証言速記録20頁)。
 
(5)
小括
 以上のとおり、平成10年当時、被告ニコン熊谷製作所で大規模なリストラが行われた事実は存在するし、このような状況下において、勇士が自らがリストラの対象となるのではないかという不安を感じるのは極めて当然のことである。リストラの対象となることを避けるため、勇士は、職場での評価が落ちないように頑張らざるを得ず、頼まれた仕事も断れず、体調が悪くても無理に出勤することとなり、肉体的・精神的に疲弊した(甲61、18頁)。

仕送及び借金
 
(1)
仕送及び経済的困窮
 H証人は、勇士が「実家に仕送りをしているので、まあ生活費がぎりぎりだという話を聞いています。」と証言し(H証言速記録5頁)、勇士が金銭的に困窮していたかのように述べる。
 勇士が被告ネクスターに就職して以降使用していた預金口座(さくら銀行)の支出入は、預金通帳(甲48)記載のとおりである。この口座には、勇士死亡時に83万1733円の残高がある。また、東海銀行の口座には、勇士死亡時に27万6369円の残高があった(甲41)。さらに、郵便貯金口座に2万2273円の残高があった(甲47の5)。したがって、勇士死亡時には勇士名義の銀行口座に合計113万375円の残高があった。
 また、これらの預金口座から親族の預金口座に送金した記録はない。
 銀行口座にこれだけの残高がある事実及び預金明細に送金の記録がないことに照らせば、勇士が実家に仕送りしていたため、金銭的に困窮していたとするH証人の証言は到底信用できない。E証人も、勇士から家族に仕送りをしているという話を聞いたことはないと証言している(E証言速記録30頁)。
 なお、さくら銀行から東海銀行への口座変更は、平成11年に、被告ネクスターのE証人の指示により、給与送金先の預金口座を、被告ネクスターの属する『クリスタルグループ』のメインバンクである東海銀行に変更したものであり(E証言速記録10頁)、平成11年3月分給与から、同銀行に送金された(甲41)。
 また、勇士は、平成11年1月23日に50万円を引き出しているが、これは実兄揚一の自動車購入資金のために貸し出したものである。揚一が交通事故のために車を破損して、新たに中古車を購入する必要が生じたために(甲65、甲66)、貯金に余裕があった勇士が、揚一に貸借したものである。揚一の借入金50万円は、平成11年2月末及び翌3月末に2回分割で弁済する予定であった。揚一は、揚一から勇士のところに赴き、勇士からの借入金で購入した自動車(BMW)を見せがてら、借入金を返済する予定であった。その日時については、揚一から「(返済期限の)直近になったら、俺の方から連絡するから」と話していた。しかし、2月末頃に、勇士が退職するという話が出たために、具体的に会う約束をしないまま、勇士が亡くなったため、揚一は第1回の返済を行うことができなかった。そのため結果的には50万円の返済は行われていない。揚一へ貸し出した50万円も加算すると、勇士は、死亡当時163万375円を有しており、経済的に困窮していたことはありえない。
 また、勇士が、平成11年2月8日に20万円を引き出したのは、原告のパソコン購入資金として貸し出したものである。原告は、勇士が一生懸命努力して貯めたお金だから借りてあげようと思い、秋葉原に行きパソコンを探したが、気に入った機器がなく購入には至らず、結局この20万円については、原告は勇士に2月18日から20日頃に返済した(甲61、29-30頁)。
 このように、勇士は親兄弟にお金を貸すほど経済的に余裕があった。
 
(2)
借金取り
 H証人は、「生活費については…、その当時は聞いた覚えはなかったんですけど、今回の裁判の件が会社内で話が出て、ちょっとTさんと話をしたときにありました。その中に、まあ借金取りが家に来たという話もあったと聞いていると聞きました。」と証言する(H証言速記録6頁)。
 しかし、同証言は伝聞の伝聞であり信用できない。しかも、H証人が、その話をTから聞いたのは、勇士が死亡してから4年も経過し、H証人が証言する直前の平成15年の2月から3月頃というのであるから、なおさらTの話は信用することはできない。
 勇士の貯蓄状況からしても勇士が借金する必要性はない。
 
(3)
食費の削減
 H陳述書には、「もし、上段さんの体重が減少していたとすれば、食費を削っていたことが原因ではなかったかと率直に思います。」と推測されている(丙10、3頁)。
 そもそも、経済的に困窮していない勇士が食費を削る理由はない。体重減少は別の理由に求められる。
 また、E証人も「食事はどうしているのかという確認を取ると、食堂では取らずに自分で持ってきて弁当を食べてますというような返答は確実に帰ってきておりました。」と証言している(E証言速記録29頁)。
 
(4)
残業手当
 さらに、H陳述書には、「ソフト検査に応援に来るということが決まったときには、上段さんが『残業したいのでうれしい』と言ったことを良く覚えています。(中略) 何らかの事情でお金が欲しかったのではないでしょうか。」と陳述されており(乙55、5頁)、昼勤のソフト検査は残業できるため給料が上がり、勇士はそのことを喜んでいたとしている。
 しかし、他方で、G陳述書(2)には、「昼夜二交替制勤務に従事している従業員には通常の1日8時間勤務者に比べて交代勤務手当てとして、昼勤の場合は時間単価1割5分増し、夜勤の場合は時間単価6割増の賃金を払っています(乙7号証72頁、賃金規則30条)ので、従業員として賃金が増え、かつ休日が増えるため、昼夜交替制勤務は問題なく受け入れられています」と陳述されており(乙53、4頁)、二交替勤務者の方が賃金が増えると述べられている。
 このように、H陳述書とG陳述書(2)では、交替勤務者の賃金の多寡について矛盾した陳述がされており、その内容は信用ができない。
 
(5)
小括
 以上のとおり、被告らによる、勇士が仕送りをして生活が困窮していたとか、借金取りが家に来たという主張は、預金通帳等の客観的証拠に照らして事実ではないことは明らかであり、勇士の自殺の原因を何とか業務外に求めようとする被告らの空想としか言いようがない。
     

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