『原告最終準備書面』


健康診断
 勇士の健康診断に関する証拠関係は以下のとおりである。

月日
作成者
標目
健康診断書の有無
検査事項の記載
証拠
(1)H8 東京都立大学医務室(医師) 証明書 健康診断書に準じた形式のもの 身長・体重・血圧・尿検査・視力・聴力・内科診察・胸部X線・その他所見 甲13
(2)H9/12/8 埼玉Q病院(医師) 健康診断書 健康診断書 身長・体重・視力・聴力・胸部X線・血圧・尿検査・その他の検査 丙3の1
(3)H9/12/24 ニコン安全衛生G 導入時健康診断 健康診断書は証拠として未提出 不明(管理区分、所見、注意事項が記載) 乙2の1
(4)H10/2/23 埼玉Q病院(医師) 健康診断書 健康診断書「その他の検査」のみ記載されており、他の部分の記載は一切ない。 その他の検査 丙3の2
(5)H10/4/15 ニコン安全衛生G 胸部X線検査所見リスト 健康診断書は証拠として未提出 不明(名称・判定欄が有り、異常の有無と数値のみが記載されている。) 乙2の2
(6)H10/春季 ニコン安全衛生G 請求書(春季健康診断実施者名簿) 被告は請求書のみ提出。健康診断書は証拠として未提出 金額3000円のみ記載 乙62
(7)H10/秋季 ニコン安全衛生G 請求書(レーザー健康診断実施名簿) 被告は請求書のみ提出。健康診断書は証拠として未提出 金額3150円のみ記載 乙63
(8)H10/秋季 ニコン安全衛生G 秋季定期健康診断費用について 被告は見積書のみ提出。健康診断書は証拠として未提出 見積もり金額約2000円のみ記載
勇士の名前の記載一切なし。
乙64


上記のうち(1)の平成8年の健康診断は、勇士の大学時代の健康診断に関するものである。
 (2)平成9年12月8日の埼玉Q医大における健康診断は実施されている。 この健康診断は、勇士の被告ネクスター入社直後に実施されていることから、法令(労働安全規則43条)で定められる雇入時健康診断であると考えられる。
 (3)のニコン安全衛生G作成の書面については、健康診断書もなく、時期的にも直前の健康診断と近接していること、及び「導入時健康診断」という標目から、(2)の健康診断の結果を会社がまとめたものであると考えられる。
 (4)平成10年2月23日付健康診断書については、会社が実施した健康診断ではなく、勇士が個人的に受診したものである(Cx陳述書(甲100))。当該健康診断書には尿検査の結果しか記載がないこともCx陳述を裏付けている。
 被告ニコンは、(5)ないし(8)において勇士に対して健康診断を実施したと主張するが、健康診断書は提出されていない。健康診断書が保存されていない理由を、被告ニコンは、被告ネクスターに送付したためであると主張し、被告ネクスターは、熊谷営業所閉鎖の際に紛失したと主張する。しかし、労働安全衛生規則第51条は健康診断票を5年間保存することを義務付けているにもかかわらず、法に違反して紛失したとはにわかに信じがたく、健康診断は実施されていなかったと解すべきである。
 (6)平成10年春季健康診断及び(7)平成10年秋季レーザー健康診断を実施した証拠であるとして提出されている乙62及び乙63は、単なる「請求書」に過ぎず、勇士に対して健康診断がなされたことを直接裏付ける証拠とはなりえない。
 しかも、(8)平成10年秋季健康診断を実施した証拠として提出されている乙64は、単なる「見積書」であり、しかも乙62及び乙63に添付されている実施者名簿すら添付されておらず、勇士の名前はどこにも見当たらず、勇士との関連性が全く伺われない。
 したがって、乙62から乙64の証拠に基づいて、平成10年春季及び秋季に健康診断が実施されたと事実認定することは到底不可能である。これらの健康診断を、勇士は受けていなかったと言わざるを得ない。
 このように、被告らが、使用者として勇士に対して実施した健康診断は、(2)平成9年12月8日の埼玉Q医大における健康診断のみであった


第3
原告証言の信用性
原告証言の客観性・一貫性
 被告らは、原告の陳述及び証言(以下「証言等」という)にはバイアスがかかっている旨主張する(乙67、7頁)。
 しかし、原告の証言等は具体的かつ詳細であり、また内容も不自然な部分もなく、就業週報(甲10)などの客観的証拠とも合致している。
 また、原告の証言等は終始一貫しており、原告の陳述書(甲61)及び証言、回答書(甲96)、勇士年表(甲97)並びに取材ノート(丙20)のいずれについても内容に齟齬はない。
 回答書(甲96)は原告が、勇士年表(甲97)は原告の話を基に上段寧実が、T.T医師(以下「T.T医師」という)に対する説明用に作成したものであり、当初、本訴訟での提出を予定していなかった文書である。取材ノート(丙20)は、原告の話を東洋経済新聞社のK.N記者が、取材の際に書き取ったものであるが、同社に対する損害賠償請求訴訟において提出された証拠を、被告ネクスターが本訴訟において提出してきたものである。いずれの文書も本訴訟に証拠として提出されることを意識して作成した文書ではないにもかかわらず、その内容は原告の証言等と一致しており、原告の証言等の一貫性が裏付けられている。
 なお、被告ネクスターは、原告の証言とT.T医師の記憶が食い違うと指摘するが(T.T証人速記録62頁)、お金の話については、面談には原告だけではなく寧実も同席しており、原告は話していないが寧実がT.T医師に話したものであり、T.T医師への資料の提出については、T.T意見書に記載の資料のみを原告は提出しているのであって(甲101、19頁)、被告代理人の質問自体が誤った事実に基づくものであり、記憶に食い違いはない。

メモの作成経緯
 原告の陳述書(1)(甲61)の作成経緯に照らして、その内容の正確性は信用できる。そもそも、原告がその陳述書においてメモの作成経緯を述べたのは、メモの作成経緯を明らかにすることにより、原告の陳述書が勇士の言葉をいかに正確に反映しているかを示すためである。陳述書の作成途中において、メモを整理して文書を作成し、乱雑に書き留めただけのメモを処分したことについて、被告らに批判されるいわれは全くない。以下に詳論する(原告陳述書(2)甲101参照)。
 原告は、教職時代、児童管理の一貫として、50人ほどの児童各々の把握や、自分の記憶、状況分析などをメモや付箋を活用して学級経営をしてきた。付箋はその後に原告の編集の仕事でも傍らに置く重要なものになり、原告の生活の中にしっかり根付いた。したがって、メモといっても、ノートに整然と書き取ったものではなく、色々な用紙(例えば職場での試印刷紙の裏などを使用)を使ったものである。
 原告は、メモを1日が過ぎたら、用紙の裏上端に糊を付けて、前日の上に貼っていた。そして、毎日分が重なるとメモ帳となった。また、これとは別に、年間予定を記入して使用するスケジュール帳もあったが、あまり書くスペ―スがないために、書き込みは少ししかなかった。
 原告の息子3人が独立した頃からつけたメモは、祖父母の話題も他の話題もさらに3人の話題も混じっているのが普通であった。そして、その日の話題がたくさんあれば複数枚になった。夜に飛び込んだホットニュースなどは、書くスペースがなくなることもあり、仕事用の付箋に書いて上に貼り付けたりしていた。原告は、子供達が電話をかけて来ると、新しい話題から知らせて盛り上がり、お知らせ済みの子のマークを決めて書き込んだりしていた。
 勇士の死後、原告は、勇士の仕事のつらさを訴えた部分をはっきり残さなくてはいけないと思い、勇士自身の言葉、勇士に関係する兄弟の言葉や、後でヒントになりそうなものは、レポート用紙を台紙にして、メモを切り取って貼ったり、乱雑なものは書き写しをしたり、必要な付箋は取って貼ったりした。
 メモは台紙にまとめられたもの(以下「台紙メモ」という。原告は、これを証言では「ノート」と表現している)と、台紙にならなかったものとに分類された。乱雑で書き写しされた部分のものと勇士関連ではないものは、台紙にまとめることができなかった。なお、その量は大量にあった。スケジュール帳は両面の為、台紙に書き写した。書き写した後のスケジュール帳も、台紙にまとめられなかったものに分類される。台紙への作業(ノート作業)は勇士が亡くなり、被告ネクスターの返事を待っている間の平成11年3月には終了した。したがって、勇士の言動は、書き留められたメモをベースとして台紙メモへまとめられていった。
 台紙メモは、入手された情報を基に、原告により手直しされていった。原告は、年表を作ったり、ある時期の様子などを別項目として詳細に分けたりして記録していった。最初の段階は手書きであったが、ある程度整ったところでパソコンやワープロ文書になっていった。この段階になっても元になる台紙メモは存在していた。台紙メモがパソコン文書になり、処分されたのは、勇士が亡くなってから約半年ぐらいの平成11年9月頃であった。
 その時期からさらに半年過ぎた頃に証拠保全(浦和地方裁判所熊谷支部平成12年(モ)第320号)があり、原告は、証拠保全により入手した就業週報に、台紙メモを元にしたパソコン文書から書き写した(甲67)。
 台紙メモにならなかった大量のメモは、いつもどおり年度末(平成12年4月頃)に処分された。

小括
 以上のとおり、原告の証言等は、その客観性・一貫性及び作成経緯からして、正確なものであり信用できる。

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