第6章 |
業務の過重性 |
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はじめに
本章では、業務の過重性は、労働時間、勤務の不規則性、拘束性、交替制勤務、作業環境などの諸要因や業務に由来する精神的緊張に基づいて評価するべきものであるところ、勇士の業務は、業務内容自体が専門的で、厳しい納期が課されており、また、熊谷製作所における交替制勤務は、肉体的・精神的に負荷が極めて高い勤務形態であり過重なものであったうえ、さらに、不規則勤務、クリーンルームでの作業、出張、引越し、15日間連続勤務及び派遣労働者ゆえの負担等も加わったことにより、著しく過重な業務であったことを明らかにする。
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業務の過重性の判断方法 |
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業務の過重性の評価方法 |
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(1)
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労働者に、疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。そして、長期の慢性的疲労、睡眠不足、いわゆるストレス等によって、抑うつ状態が生じ、うつ病に罹患する事があることは、神経医学界において広く知られている。
疲労や心理的負荷を蓄積させる要因としては、(1)労働時間、(2)不規則な勤務、(3)拘束時間の長い勤務、(4)出張の多い業務、(5)交替制勤務、深夜勤務、(6)作業環境(温度環境、騒音、時差)、(7)精神的緊張(心理的緊張)を伴う業務が挙げられる。
労働時間は業務の過重性を判断するための典型的な指標であるが、それ以外の要因である勤務の不規則性、拘束性、交替制勤務、作業環境などの諸要因や業務に由来する精神的緊張も、肉体的・精神的負荷となることから、業務の過重性は上記要因を考慮して判断するべきである。したがって、業務の過重性は、労働時間のみによって形式的に評価されるものではないことは言うまでもない。
長時間労働は、(i)睡眠時間が不足し疲労の蓄積が生ずること、(ii)生活時間の中での休憩・休息や余暇活動の時間が制限されること、(iii)長時間に及ぶ労働では、疲労し低下した心理・生理機能を鼓舞して職務上求められる一定のパフォーマンスを維持する必要が生じ、これが直接的なストレス負荷要因となること、(iv)就労態様による負荷要因(物理・化学的有害因子も含む。)に対するばく露時間が長くなることから、身体的、精神的負荷を生じさせると考えられている(甲52、95頁)ところ、このような(i)から(iv)を生じさせる労働は、長時間労働だけではなく、上記(2)から(7)の労働も同様である。
例えば、交替制勤務は、後述のとおり、人間固有の生体リズムに反する反生理的なものであり、睡眠時間の不足や社会活動時間の制限等により、昼勤に較べて慢性疲労が生じ易く、疲労が蓄積して過労状態が進行して労働者の健康を害する危険性が高いものであるから、労働時間が長時間でなくとも、交替制勤務による肉体的・精神的負荷が高い場合には、その業務は過重であると評価できる。 |
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(2)
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厚生労働省の発表した「労働者の疲労度蓄積度自己診断チェックリスト」(甲109の3。以下「厚生労働省チェックリスト」という)においても、疲労度を蓄積させる要因として、(1)1ヶ月の時間外労働、(2)不規則な勤務(予定の変更、突然の仕事)、(3)出張に伴う負担(頻度・拘束時間・時差など)、(4)深夜勤務に伴う負担、(5)休憩仮眠の時間数及び施設、(6)仕事についての精神的負担、(7)仕事についての身体的負担が挙げられている。同チェックリストは、各項目において負担度を点数化して合計点から負担度をチェックできるようになっているが、「深夜勤務に伴う負担」については、時間外労働時間と同じく「非常に大きい」に3点が付与されている。
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2
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脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書
ところで、疲労や心理的負荷の過度の蓄積が、疾患を発症させるというメカ二ズムは、脳・心臓疾患も精神障害も共通であることから、脳・心臓疾患における知見も精神障害の事例において参考になる。
業務の過重性の評価について、医学専門家等を参集者とする脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会が作成した「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」(甲52)は、「言うまでもなく、業務の過重性は、労働時間のみによって評価されるものではなく、就労態様の諸要因も含めて総合的に評価されるべきものである。具体的には、労働時間、勤務の不規則性、拘束性、交替制勤務、作業環境などの諸要因の関わりや業務に由来する精神的緊張の要因を考慮して、当該労働者と同程度の年齢、経験を有する同僚労働者又は同種労働者(以下「同僚等」という)であって日常業務を支障なく遂行できる労働者にとっても、特に過重な身体的、精神的負荷と認められるか否かという観点から、総合的に判断することが妥当である。」と述べており(同109頁)、労働時間以外の過重負荷の要因として具体的には「(1)不規則な勤務、(2)拘束時間の長い勤務、(3)出張の多い業務、(4)交替制勤務、深夜勤務、(5)作業環境(温度環境、騒音、時差)、(6)精神的緊張(心理的緊張)を伴う業務」(同3頁)を挙げている。
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3
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裁判例
業務の過重性を評価するにあたり、後に詳述する、(1)大阪高等裁判所平成6年3月18日判決、(2)東京高等裁判所平成3年5月27日判決、(3)名古屋高等裁判所平成14年4月25日判決、(4)東京高等裁判所昭和54年7月9日判決、(5)東京地方裁判所平成15年4月30日判決、(6)津地方裁判所平成12年8月17日判決、(7)最高裁判所平成16年9月7日判決、(8)東京高等裁判所平成14年3月26日判決は、いずれも業務の過重性を判断するにあたり、形式的な労働時間だけではなく、睡眠の量・質や、勤務の不規則性、拘束性、交替制勤務、作業環境などの諸要因や業務に由来する精神的緊張を考慮して、業務の過重性を認定している。
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小括
以上のとおり、業務の過重性を判断するにあたり、労働時間、勤務の不規則性、拘束性、交替制勤務、作業環境などの諸要因や業務に由来する精神的緊張を総合的に考慮すべきであることは、厚生労働省チェックリスト、脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書、上記裁判例においても是認されている。以下、個別の要素について詳論する。
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業務の内容 |
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ステッパー検査業務の専門性・複雑性
前述の通り、ナノメートル単位の精度が要求されているステッパーの検査は、緻密性が要求されており、オーダーメイドの製品であることから、顧客の要望にあわせて検査をすることが要求されており、高度で、神経を使う業務であった。また、検査業務の内容は、ステッパー等で計測された検査結果を、単にチェックシートに移し変えるという単純な作業ではなく、ある程度の技術的素養・知識が必要な専門性を要求される複雑な業務であった。 |
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2
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厳しい納期 |
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(1)
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ステッパーには、厳しい納期が定められており、作業員は、この納期を守るために、長時間労働・休日出勤をせざるを得ない状況にあった。
特に、検査部門は、ステッパー納入の直前の最終工程であるため、製造途中で予想外のトラブルが発生し作業が遅れた場合には、その遅延のしわ寄せを受け、作業の遅れを取り戻し、納期に間に合わせるために短期間に無理をして作業を完了させなければならなかった。
さらに納期が迫っているにもかかわらず、ステッパーが順調に動作しない場合などは、納期を守らなければならないという精神的プレッシャーを受けやすい状況にあった。 |
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(2)
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被告ニコンの会社案内(乙9、8頁)でも、「いうまでもなく、お客様である半導体メーカーは、新しいステッパーの早い納入を望む。しかし、ステッパーには数多くの部品が使われており、お客様ごとに使う部品も異なる。1個の部品が遅れただけで装置の完成が遅れることもあり、納期クリアのためには設計や製造などとの社内調整、そしてお客様との社外調整をスムーズに進めていかなければならない。ちょっとした仕様変更でも、社内外の調整がうまくいかなければ、指定された納期に間に合わないこともあるからだ」と記載されている。
被告ニコンの営業社員も、「もう、納期との闘いですね。装置完成が遅れてラインが動かないと大きな損失を受けたり、生産計画全体に支障をきたしますから、お客様は一刻も早い納入を要求する。しかし、設計・製造の仕事はいろいろな技術的課題をクリアしていくわけですからスケジュール通りに進むとは限りません。両者の板ばさみになることも珍しくないですね。」と述べている。 |
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(3)
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このような「納期との闘い」のなかで、最終的な検査を行い、ステッパーの点検・微調整を行う勇士ら検査員は、納期に間に合わせるために長時間労働・休日出勤を迫られていたのである。 |
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(4)
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「テクノストレス症候群」(甲16)でも、「ソフトウェア技術者の仕事上のイベントと抑うつ尺度(SDS)の対応を半年に渡って追った調査結果は、納期に伴う進捗の遅れに対応して、抑うつ得点が増加する傾向を示している。別のデータからは残業時間の増加とSDS得点との相関もみられており、納期前の残業時間の増加も精神保健に影響することが示唆される。またテスト工程時にチェックのきつさからこれらの得点上昇が発生することもこれらの結果から示唆された。テスト工程が占める割合が高いほどSDS得点が高い傾向とも一致する結果である。納期の厳しいテスト工程においては、メンタルヘルスの問題だけでなく、ミスも増加することがデータによって示されている」と述べられており(同1025頁左欄)、厳しい納期と抑うつとの相関関係、特に、テスト工程(検査工程)と抑うつとの相関関係が存在することが指摘されている。 |
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(5)
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以上のとおり、ステッパーには、厳しい納期が定められているため、作業員は厳しい納期を守るために、必然的に長時間労働・休日出勤をせざるを得ない状況にあった。また、厳しい納期を守らなければならないことが作業員に対する精神的プレッシャーとなっており、このような精神的プレッシャーがうつ病を発症させやすいことが科学的知見として存在する。
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3
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テクノストレス(VDT)
ステッパーの検査や、メールのやりとりなど、コンピュータに向かっての作業を行う者は、精神衛生面での悪影響があることが医学的に知られており、「テクノストレス」とよばれている。
「テクノストレス」という用語は多義的ではあるが、「テクノストレス症候群」(甲16)においても、「コンピュータ作業者では産物の納品スケジュールの過密さゆえ、そのプロジェクトの直後、あるいは最中に心身の不調を訴え、精神衛生上の問題を起こす例が少なくない」と述べられている(同1023頁右欄)。
「VDT作業の労働衛生・人間工学」(甲115)は、「VDT作業者を対象とした大規模実態調査によれば、職場でコンピュータを利用する人々は極めて高率に心身の疲労を訴えていることが明らかとなっている」と述べている。
コンピュータに向かっての作業が必要であった勇士には、これらのテクノストレスも存在した。
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小括
以上のとおり、ステッパー検査の業務内容は、それ自体が高度かつ専門的で複雑な業務であり、また厳しい納期があることから肉体的・精神的負荷が大きく、「テクノストレス」による精神面への悪影響がある業務であった。 |
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