クリーンルーム内作業は、ウェアの不便さ、立ち作業の多さ、閉鎖圧迫感などのクリーンルーム特有のストレッサーにより、ストレス反応を引き起こしやすいという報告が散見されると指摘している。
また、中央労働災害防止協会編「クリーンルームの安全衛生管理」は、クリーンルーム作業者は、必然的に一般作業者とは異質な作業環境、作業形態、職場人間関係等の条件に置かれ、特異的な精神・心理状態を余儀なくされやすいと指摘している。
エ 勇士は、精神疾患が発症しやすい長時間労働(長時間にわたる時間外労働)に従事していた。
平成15年度委託研究報告書(甲192)は、長時間残業による睡眠不足が精神疾患発症に関連があることは疑う余地もなく、特に長時間残業が100時間を超えるとそれ以下の長時間残業よりも精神疾患発症が早まるとの結論が得られたとしている。
オ 勇士は、一審被告ニコンの事業縮小方針による解雇の不安を感じていた。厚生労働省(旧労働省)労働基準局長の発した「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(平成11年9月14日基発第544号。以下「判断指針」という。)は、退職強要や解雇が精神疾患発症につながる重大な心理的負荷となることを認めている。
カ 勇士は、一審被告アテストの指示により、引っ越しを強制された。
引っ越しによる疲れや環境の変化によるストレスがうつ病の原因となることは、医学上の定説である。
キ 平成11年1月及び2月に、一審被告アテスト熊谷営業所従業員SN.K(以下、「SN」という。)が勇士の顔色を見た感じから勇士が大分疲れた感じであったことを現認している。
ク 勇士は、平成11年2月22日及び23日に一審被告ニコンに連絡の上で欠勤するとともに、SNに対し、同月末に退職したい旨を申し出て、同月26日以降無断欠勤をするに至った。
厚生労働省編著「職場における自殺の予防と対応」(甲182)は、職場を休みがちになることが自殺の直前サインであると指摘している。また、笠原嘉著「軽症うつ病」は、「サラリーマンの場合、うつ病が無断欠勤の形で始まることがあります。それまであまり欠勤しなかった人が急に欠勤しだします。そういう場合、会って聞いてみると、すでに何カ月からうつ病の症状(「ゆううつ気分」と「不安感」と「おっくう感」)に苦しんでいたが、助けを求める決断ができないまま日を過ごし、とうとう我慢ができず無断欠勤してしまった、といいます。」と指摘している。
ケ 勇士が生前家族に金員を貸し付けた行為は、精神疾患の結果自殺に至る前に身辺を整理し、大事にしていたものを人に上げてしまう行為と評価できる。
厚生労働省編著「職場における自殺の予防と対応」(甲182)は、「大切にしていたものを整理したり、誰かにあげてしまう」行為を自殺直前のサインとして挙げている。この行為は、うつ病のサインでもある。
(5) 業務と心理的負荷の関係、これらとうつ病発症・自殺との相当因果関係を判断する上で、判断指針は、現在の医学的知見に沿って作成されたもので、一定の合理性があるが、当てはめや評価に当たって幅のある判断を加えて行うもので、当該労働者が置かれた具体的な立場や状況などを十分にしんしゃくして適正に心理的負荷の強度を評価するに足りるだけの明確な基準になっているとはいえない。この基準のみをもって判断するのではなく、その他の医学的知見も十分に考慮して、業務と精神疾患・自殺との相当因果関係を判断するのが相当である。
判断指針では、精神疾患発症前おおむね6か月間の業務を考慮するとしているが、判断指針策定の中心になった精神科原田憲一医師も、発症前6か月ないし1年間の心理的負荷が精神疾患発症の原因となることを明確に述べている(甲183)。最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁でも、1年を優に超える期間の長時間労働による慢性的疲労とうつ病との因果関係を認めている。
また、判断指針では、出来事(ライフイベント)を中心にして心理的負荷を検討しているが、実際には、日常的に発生する慢性ストレスが心理的負荷の大きな原因となることが知られている。原田憲一医師も、ライフイベント(急性ストレス)より持続的、日常的なストレス(慢性ストレス)の方が精神的健康にはるかに害があると述べ、慢性ストレスが心理的負荷となる要素が強いことを強調している。(甲183)。
(6) 我が国では、過労死が社会問題となった1980年代後半以降、長時間労働、時間外労働がどの程度に達すれば心身に過重な負荷となるかについて議論が積み重ねられてきた。そして、そのひとつのまとめとして、平成13年11月に「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会報告書」が出され、これに基づいて同年12月12日付けの脳・心臓疾患の労災認定基準及び運用基準が作成され、さらに、「脳・心臓疾患の労災認定実務要綱」(甲137)が作成された。これらの基準では、昼間勤務の者が月45時間以上の時間外労働を行うと健康を害するおそれがあると指摘され、月80時間以上の時間外労働では、業務と発症との間の因果関係を認める方向が明確となった。この基準は、昼間労働に関しては、脳・心臓疾患に限定されず、うつ病等の精神疾患の発症原因を考える上でも参考となる。
また、平成15年度委託研究報告書(甲108)は、残業とうつ病発症との因果関係を考える上でのひとつの資料となる。
(7) 日本産業衛生学会は、昭和53年5月、「夜勤・交替制勤務に関する意見書」(甲84)を発表した。これは同学会内に置かれた交替勤務委員会が3年間にわたり討議研究を重ねた末に作成されたものである。同意見書は、夜勤・交替制勤務によって単に生活周期の混乱が起こるにとどまらず、従事労働者の健康にまで有害な影響の及ぶことが健康調査結果や内外の夜勤・交替勤務者の安全衛生に関する近年の諸文献によって明らかであり、夜業若しくは交替制の導入は社会的に必要な最小限度にとどめるべきだと考えられるが、やむを得ず夜勤・交替制勤務を行わせる場合は、その労働者の健康と生活について十分な対策が講じられなければならず、やむを得ず交替制勤務を採用する場合、深夜業・交替制勤務の有害な影響をできるだけ少なくし、健康で文化的な生活条件に近づけるため、次のような労働時間基準及び勤務編成基準(以下「産業衛生学会基準」という。)に従って交替制勤務を実施すべきであるとして、12項目の具体的勧告を行っている。
ア 交替制勤務就労時間は40時間を限度とする(2週間単位で計算)。
イ 深夜業算入時間は21時から6時まで検討すべきである。
ウ 深夜業を含む労働時間は1日8時間を限度とする。
エ 作業時間と休憩を適切なものとする。
オ 仮眠休養時間を拘束8時間につき連続2時間以上とする。
カ 深夜勤務は原則1晩とし、やむを得ない場合も2、3夜の連続に限る。
キ 各勤務間の間隔は原則16時間以上とする。
ク 月間深夜勤務を8回以下とする。
ケ 年間休暇を平均週休2日に祝祭日を加えた日数とし、休日から休日までの間隔は最大7日以内とする。
コ 有給休暇は年間2週間相当以上とする。
サ 週末休日を増加させる。
シ 融通性のある交替制勤務を導入する。
また、国際労働機関(ILO)が1990年6月26日に採択した「夜業に関する勧告」(甲110)には、次のとおり産業衛生学会基準と同様の内容が含まれている。
ア 夜業労働者の通常の労働時間は8時間を超えるべきではない。
イ 夜業労働者による超過勤務をできる限り回避する。
ウ 不可抗力や急迫事故の場合を除き、2日連続の夜勤が行われるべきではない。
しかるに、勇士の熊谷製作所における所定労働時間は、交替制勤務の際の昼勤夜勤とも9時間45分とされ、拘束時間(昼勤 午前8時30分から午後7時30分まで、夜勤 午後8時30分から午前7時30分まで)は各11時間であった。この所定労働時間は、産業衛生学会基準や国際労働機関の勧告を大きく逸脱している(なお、産業衛生学会基準では、作業負担が身体的及び精神神経的に軽度な断続的業務に関しては、拘束12時間まで延長することができるものとするが、その場合はこの勤務が連続しないようにするとしているところ、勇士の従事した作業がこの場合の軽度な断続的労働でないことは明らかである上、勇士は、拘束11時間以上の夜勤をしばしば連続で行っていた。
加えて、勇士は、深夜勤務の所定労働時間9時間45分を超えて時間外労働を
課せられることが多く、こうした深夜勤務時における長時間労働の実態は、上記の基準や勧告に照らして過重な労働であることが明白である。
(8) 一審被告ニコンの提出した調査時報(電機連合。乙129)に照らしても、勇士の労働の過重さは明らかである。そもそも同時報では、深夜交替制勤務を行う上での問題点として、疲労の蓄積で健康管理が難しいとの調査回答が73%にも及んでいる。そして、深夜交替制勤務者の平均年間実労働時間は1843時間であるのに対し、勇士の実労働時間は、平成10年3月から平成11年2月までの1年間に2154時間に達しており、上の平均よりも311時間も多く、常昼勤務者の年間実労働時間1933時間よりも221時間も多いのである。さらに、同時報では、2直、3直態勢での勤務シフトは、順次始業時間を遅くすることにより多少なりとも労働者の負担軽減を図ろうとする状況があることが示されているが、勇士は、2日連続や3日連続で深夜帯の同時刻からの始業とされていた。
(9) 勇士のうつ病発症・自殺について、業務以外の要因は存在しない。
ア 勇士の家族への金銭貸与に関しては、貸金が精神的負担となるという医学的知見はない。また、貸与した金額が勇士の兄である上段揚一(以下「揚一」という。)に50万円、一審原告に20万円という比較的少額であり、また、貸与後も約113万円の預金が残っているのであるから、この貸与が財産の損失につながりうつ病発症に影響を与えたと評価するのは誤りである。さらに、この貸与は勇士がいい出したことに端を発したものであり、家族からいわれていやいや貸与したものではない。この貸与は、うつ病との関連があるとしても、自殺の兆候として身辺を整理し、大事にしていたものを捨ててしまったり、人に上げてしまったりする行動ととらえるべきものであり、うつ病の症状ではあっても、うつ病や自殺の原因とはなり得ない。
イ 勇士に退職が先に延ばされてしまうと資格試験の準備が間に合わないというあせりがあったという証拠はない。勇士は、電気主任技術者試験を受けようとしていたが、平成11年に必ず合格しなければならない事情はなかった。平成11年2月22日以降、勇士は、うつ病の症状である思考行動制止を示しており、そのような状態で資格試験のことを考える余裕はなかった。
ウ 両親の離婚一般が子を精神的にぜい弱にするとの知見は存在せず、勇士の兄弟2人が自殺や精神障害を発症した事実もない。勇士は、両親離婚後の高等専門学校時代、大学時代に学校不適応も起こしていない。
(一審被告ら)
勇士は、派遣労働者ではない。
勇士は、一審被告ニコンと一審被告アテストとの業務請負契約に基づき、熊谷営業所配属の一審被告アテスト従業員として、熊谷製作所内でその業務に従事していたのである。
一審原告が主張する4つの要件については、<1>は、契約上、請負業務の処理について瑕疵があり、又は善良なる管理者の注意を欠いていたため、不完全な処理が行われた場合には、一審被告アテストは一審被告ニコンに対し、直ちに完全な履行となるような追完をし、又は、損害賠償の責任を負うとされていた。<2>及び<3>は、契約上、一審被告アテストがその従業員を管理し、直接命令する者として現場責任者を選任することとしており、その現場責任者には、平成9年10月27日から平成10年12月までは熊谷営業所従業員SH.T(以下、「SH」という。)が、平成11年1月以降はSNが就任しており、熊谷製作所内に常駐していたわけではないが、その現場責任者が勇士を管理していた。また、ステッパー検査は基本的にひとりで行うことができる作業であるので、一審被告ニコンが特段指示することはなかった。さらに、<4>は、勇士が従事していたステッパー検査には専門的な技術・経験を要した。
(一審被告ニコン)
(1) 勇士は、業務を掛け持ちしていたことはない。平成11年1月から同年2月7日まで勇士が従事していたのは、ソフト検査作業ではなく、一審被告ニコン従業員等が指導員となって行ったソフト検査についての実習である。
(2) 労働の過重性を判断するには、一定期間に集中して精神的・身体的負荷が高まることによって過重労働となったか否か、その過重性に起因して精神疾患が発症するのか否かが問われなければならない。
一定期間とは、精神医学的知見に基づき妥当な評価期間として判断指針においても採用されている評価期間である精神疾患発症前の約6か月間である。いったん生じた精神的・身体的負荷もその原因事実が解消すればそれに伴う疲労と共に解消されるのであり、稼動全期間を通じて評価期間とする考え方は妥当ではない。
また、おおむね6か月以内に起きた出来事であっても、発症よりさかのぼればさかのぼるほどその問題の心理的負荷は緩和され、相当以前に解決している場合もあろうし、時間の経過と共に解決に向かいその心労は小さくなっていたかもしれない。あるいは、新たに大きな問題が生じ、以前の出来事から引き続く問題に取って代わっているかもしれないから、おおむね6か月間に起きた出来事による心理的負荷の総和を求め、その大きさを評価しようとすることも妥当ではない。
以上の観点からみた場合、次のとおりであり、本件において労働の過重性を認めることはできない。
ア 労働時間
勇士の自殺直前の6か月間の1か月当たりの平均合計労働時間は173時間5分、作業日1日当たりの平均労働時間は10時間5分である。
勇士が熊谷製作所で勤務していた平成9年10月27日から平成11年2月25日までの間の勇士の夜間勤務は合計74日間、月平均約5.3日であったのに対し、自殺直前の6か月間の夜間勤務は合計19日間、月平均3日程度であり、従前よりも夜勤日数の割合は低下していた。
また、自殺直前の6か月間の勇士の休日は延べ日数90日間であり、熊谷製作所の一審被告ニコン従業員のうち通常勤務者の同期間の所定休日62日を大きく上回っていた。
さらに、平成10年度の勇士の夜勤番64日中、所定労働時間が行われたのは、14日間合計19時間であり、1回当たりは1ないし1.5時間で最長でも2時間にすぎなかった。
確かに、勇士は、平成11年1月24日から同年2月7日まで15日間連続して勤務しているが、その直前の同年1月18日から同月23日まで6日間連続休日を取っており、それほどの負荷が掛かっているとはいえない。
イ 時間外労働・休日労働時間
時間外労働時間数を導くには、所定労働時間数を基準とするのではなく、法定労働時間数(1週40時間)を基準とすべきである。そうでなければ、所定労働時間を短くしている使用者ほど安全配慮義務違反が問われやすいという矛盾が生じる。そして、この基準によれば、出張時(納入検査)及び15日間連続勤務の際の時間外労働時間数は、身体的精神的負荷として特に過重なものではない。
時間外労働時間において、一見明らかにして過酷な労働条件下にあったとはいえない。問題とされるべきは恒常的な長時間労働であり、単発的、非継続的な長時間労働ではない。長時間労働が継続的に存しなかったことは明らかであり、長時間労働に就労した後、長時間労働とは評価できない労働に従事した場合、長時間労働によって蓄積した疲労等は回復したと評価できるから、平成10年3月及び7月の長時間労働は精神疾患発症の原因要素として考えることはできない。また、平成11年1月から2月初旬にかけての長時間労働はわずか2週間のものであって、その前後の休日等の存在を考慮すれば、その直後に精神疾患が発症するということは経験則上認めることができない。判断指針においては、極度の長時間労働、例えば数週間にわたり生理的に必要な最小限度の睡眠時間(4、5時間程度)を確保できないほどの長時間労働により、心身の極度の疲弊、消耗を来たし、それ自体がうつ病等の発病原因となるおそれのあるものが例外的事由として総合評価を「強」とするとされていたことろ、15日間連続勤務でも勇士が5時間以上の睡眠時間を確保することが十分可能であったから、判断指針にいう極度の長時間労働が存在しないことが明らかである。
ウ 交替制勤務
熊谷製作所における交替制勤務は、3組2交替制を採用し、サーカディアンリズムの乱れをできるだけ抑制し、勤務者への負担をできるだけ軽減するよう、<1>夜勤回数を連続3日に抑制するとともに、月間夜勤回数を最大9回とし、通常勤務者よりも1日の勤務時間を長くして(ただし、休憩時間とリフレッシュタイムにより、連続勤務時間を3時間30分、2時間、2時間20分、1時間45分として、長時間化を回避している。)、休日日数を増加させ、<2>夜勤明けには3日ないし4日の連続した休日を設け、夜勤と夜勤との間は7日ないし8日と十分な間隔をあけ、<3>年間所定労働時間を通常勤務者と比較して短縮するという配慮の下に、一審被告ニコンが世間動向及び専門文献等を十分調査・検討した上で、一審被告ニコンの労働組合との協議を経て、また、日本電機工業会、通信工業連盟及び電機連合の三者による企画委員会が策定した「電機産業における交替・変則制勤務に関する深夜労働の労使ガイドライン」(乙12)を十分配慮の上で、導入されたものである。さらに、交替制勤務の導入の際に、熊谷製作所内のクラブハウス2階に仮眠室を設けており、また、クリーンルームの出入口に隣接した区画にリフレッシュルームを設け、テーブル、ソファ、清涼飲料水の自動販売機等を配備していた。
確かに、次の期間において、勇士の勤務シフトを夜勤から日勤へ変更させているが、交替制勤務から日勤に変更される場合には、サーカディアンリズムが夜勤の場合でも完全に逆転せずに残り、日勤に戻れば1、2日で回復するという特性からすると、健康面・精神面に悪影響を与えることはないし、また、交替制勤務を継続していた場合と比較して夜勤日数は減少している。
(ア) 平成10年
3月12日から同月14日、同月23日から同月25日
4月13日から同月15日
7月20日から同月22日
9月17日から同月19日、同月28日から同月30日
10月8日から同月10日、同月19日から同月21日、同月29日から同月31日
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