(イ) 平成11年
1月14日から同月16日、同月25日から同月27日
2月4日から同月6日
交替制勤務は、夜勤頻度が非常に少ないもので、これによって精神疾患を発症するほどの過重労働をもたらしたという事実関係はない。仮眠の体制や夜勤間の間隔時間の点は、過重性判断の決定的要件ではない。また、そもそも、現在、わが国において増加傾向にある交替制勤務と精神神経疾患との関係は明らかではない。一審被告ニコンにおける精神疾患者(休業者)数の調査によると、むしろ、通常勤務者と比較し、交替制勤務者の方の割合が少ない。しかも、本件においては平成10年12月には交替制勤務は終了している。
一審原告は、産業衛生学会基準に反する交替制勤務はすべて過重労働になる旨を主張しているが失当である。電機連合の調査によると、交替制勤務の実態は所定内労働時間が1832時間15分、所定外労働時間が138時間13分であった(乙129)。また、労働省の深夜業の就業環境、健康管理等の在り方に関する研究会が平成11年1月に行った中間報告においても、産業衛生学会基準の遵守は盛り込まれていない。同基準は社会通念上基準として認知されておらず、実際の基準として機能するものではない。
エ クリーンルーム内での就労
クリーンルームは熊谷製作所6号館1階から3階にかけての部分が2層とされて2室設けられており、その面積は下層が2576m2、上層が2464m2であり、それぞれの床から天井までの高さは約4mである。クリーンルーム内の清浄度はクラス1000(1立方f
[約0.028m2] 中に0.5μm径以上の異物が1000個以内であること。アメリカIES規格)である。クリーンルーム内の温度及び湿度は23℃前後・湿度40%台を保つように配慮されていた。クリーンルーム内の照明はウェハへの感光を避けるため、通常半導体製品製造工程と同様に、黄色の蛍光灯を用い、照度は、事務所での精密作業の際に求められる法定の基準である300ルクス以上の400から600ルクス程度である。クリーンルーム内の騒音は、極力じんあいが生じないように、クリーンルーム内を摩擦・しゅう動部分をできるだけ除去した機構にしているため、ほとんど問題となっていない。さらに、クリーンルーム内で使用される化学物質は窒素ガス等一定のものに限られ、緊急時の警報装置・緊急遮断弁の設置等により漏えい・拡散のないよう配慮されている。
また、勇士が勤務していた当時のクリーンルーム内での作業においては、クリーン着(防じん服)、帽子、クリーン靴等の着用は義務付けられていたが、平成11年5月31日以前は、手袋・マスクの着用義務はなかった。クリーンルームへの入室には、じんあいを払うために数十秒エアーシャワーを浴びる必要があったが、その出入りの管理は緩やかで、所定の休憩時間・リフレッシュタイムのほか、手待ち時間等を利用して自由にクリーンルームの出入りができるようにされていた。
クリーンルーム内での就労が精神疾患を発症するほどの過重労働をもたらしたという事実関係はない。勇士がクリーンルーム内で働くことに不平不満をいっていたことは認められないし、勇士は、昼休みなどもクリーンルーム内に留まり過ごしていたのであり、そこでの勤務自体が勇士の身体的、精神的負荷となり精神疾患を発症させたと考えることはできない。クリーンルーム内作業が疲労や心理的負荷等を過度に蓄積し、労働者の心身の健康を損なう危険のある労働であるとの医学的知見はない。
オ 従事した業務の内容
ステッパー検査自体は、基本的には数字を見比べる作業であり、定型的な検査を行うものである。検査データが適正でない場合には、再検査を行ったり、調整・技術部門に連絡して対応を求めたりすることはあるが、検査部門においてステッパーの調整等を行うことはない。
社内検査については、基本的にはマニュアルに沿ったデータ取りであるから、ある程度習熟すればさしたる疲労を伴うものではない。また、付属パソコンに命令を入力した後、データが自動的に検出されるまでの間には、休憩を取ることのできる自由時間である手待ち時間(検査項目により発生時間は異なり、短いものは10分から長いものでは2時間になることもある。)が生じる。
納入検査についても社内検査と同様のことがいえ、さらに、その検査のために出張するに当たっては、昼勤において出張準備を行い、出張中は、納入先の工場稼動時間に合わせ昼勤となる。ただし、休日については交替制のおける休日のままであり、休日作業扱いになることがある。
ソフト検査については、設計・技術等との連携のため、昼勤により行われており、しかも、勇士のソフト検査実習の内容は一般検査時に行っていたのと同様のソフトの作動状況を確認するためのデータ収集であった。能力が高く、かつ、勉強意欲おう盛な勇士が積極的に取り組んでいたものであり、同僚・技術部門等からの支援も行われていた。
カ 出張
出張は、第1回目(台湾)及び第2回目(宮城)の納入検査のいずれも、主たる検査員の補助として随行したものであり、勇士に大きな負担が掛かるものではなかった。時間外労働の多かった第2回目(宮城)では、待機時間が全体の4割を占める密度の薄い労働であった。また、第3回目(台湾)は短期間で、ステッパーのバージョンアップ版のソフトウエアを作動させて設計どおりの機能を発揮するか否かを検査するためのもので(ソフトウエアのバグ取り)、就業後に接待を受け、カラオケを楽しむなどしており、大きな負荷があったわけではない。
キ 解雇の不安
勇士は、一審被告ニコンと直接雇用契約を締結していたものではないから、熊谷製作所での就労が直ちに解雇につながるという関係にはなかった。また、平成11年1月5日付けで平成10年10月27日からの期限の定めのない雇用契約を締結しており、これによって解雇に関する抽象的な不安さえも実質的に払しょくされたということができる。勇士は、現実に解雇を言い渡されたり、退職勧奨されたりしたこともないのである。
また、勇士は、アメリカ留学を夢見てその学費を稼ぐために正式な就職をせずに請負労働者として稼動することを自ら選択して熊谷製作所で就労していたものであり、本来、身分の不安定さがストレスの原因となることなどあり得ない。一審被告ニコンにおけるリストラの時期は勇士の自殺の半年以上前であること、勇士は自殺前には退職を決意していたことからしても、これが精神的負荷を与えたとは考えられない。
(3) また、次のような事情からしても、そもそも勇士がうつ病を発症していたとは到底認められない。
ア うつ病の症状としては、行動が不活発、緩慢になり、口数が少なく何をするにつけてもおっくうとなり、何もしたくなくなり、仕事の能率が低下するとされている(乙131)。実際に、一審被告ニコンにおいてうつ病にり患したとして休職している者の勤怠状況は極めて不規則になり、欠勤日数が多くなり、ついには休職するのが一般的である(乙132の1・2)
これに対し、勇士の勤怠状況は極めて良好であり、平成11年2月下旬における4日間の事欠以前は、平成10年3月に3日間、同年11月に1日間、同年12月に1日間及び平成11年1月に4日間の事欠があるにすぎない(甲10の1〜17)。しかも、同月の事欠は一審被告ニコンが要請して休んでもらったもので、勇士が欠勤したわけではない。一審被告ニコンにおける派遣又は請負などによって就労している者の勤怠管理は有給休暇の場合でも事欠としているから、そのほかについても欠勤ではない可能性がある。いずれにせよ、勇士の勤怠状況はうつ病患者のそれとは大きく異なっている。平成11年2月の事欠にしても、勇士は、同月27日は国家試験のために休む旨を連絡しており、無断欠勤ではなかった。
また、勇士の作業能率は落ちることもなく、むしろ、職場内では優秀であると評価されていた。
イ うつ病の症状のひとつとして食欲不振が挙げられるが、勇士はそのような状態に陥っていなかった。
ウ 勇士の健康悪化を裏付ける医証は一切存在しない。
エ 勇士の置かれていた労働条件がうつ病を発症するほどの過重なものでなかったことは既に主張したとおりである。
オ 勇士や一審原告から勇士の健康悪化にかかわる申出は一切なかった。
カ 勇士の自殺直後の一審原告やその家族の言動等からすると、一審原告やその家族が勇士がうつ病であったと認識していたとは認められない。
(4)ア 勇士は、平成9年9月に東京都立大学を中退した。その理由は、東京都立大学工学部は勇士が考えていたような勉学ができる環境ではなかったからである。また、勇士がその後直ちに就職したのは、就職して生活費を得るとともに、将来のために学費を貯める目的があったからである。そして、勇士が正規従業員として就職せず、一審被告アテストに入社したのは、勉学を続けるつもりであったので、いつでも退職できる会社に就職したかったからである。
勇士は、熊谷製作所において研修を受けた際に、一緒に研修を受けたアメリカ留学経験者のIK.Yの話を聞いて留学を目指すようになったが、英語が不得手であったので、同人の勧めに従い、遅くとも平成9年暮れころからはNHKのラジオ放送で英語の講座などを受講していた。勇士は、熊谷製作所の研修で賃金をもらいながら専門的な知識等を習得できることを非常に喜び、毎日復習をするなど極めてまじめに研修を受け、習得も極めて早かった。勇士は、一審原告への仕送りをしながらも、3年を目処に学資を貯めて留学をしたいと考えていた。
イ 勇士は、中学時代は生徒会長を務めるなど積極的な性格であった。ところが、勇士は、熊谷製作所での就労開始当初から、既に、一部の者としか話をしない。同僚等が話し掛けても大した答が返ってこないため話が続かない、同僚から何かに誘われても応じようとしないという態度を取り、まるで中学時代とは別人のように極めて消極的・内向的で、精神的にぜい弱な性格に変容していた。
このような勇士の性格の変容の原因を突き詰めると、勇士の両親の離婚に帰着する。すなわち、勇士の実父HIがギャンブルに明け暮れ、子どもの金も見境なく持ち出すようになって、一審原告と離婚したのが平成2年11月21日である。当時、勇士は、中学3年生という多感な時期にあり、両親の離婚問題に相当悩んでいたことが認められる。そして、その後6年間のうちに、勇士の性格は大きく変容し、熊谷製作所で就労を始めた当初から、女性はもちろん、男性の友人との交際もほとんどせず、自ら他人に話し掛けることはないという精神的にぜい弱なものとなっていた。勇士の自殺の原因は、その両親の離婚に端を発した性格の変容が大きく寄与していることは容易に想像が付くものである。両親の離婚を契機に勇士の積極性は影をひそめ、社交性もなくなり、悩み等を勇士が親族以外の第三者に話すこともなくなったのである。
ウ 他方、勇士のまじめで肉体を鍛錬するなどの上昇志向の強い性格はそのまま維持され、勇士は、それゆえに自ら厳しい日課を課して睡眠時間を削り、毎日の生活スケジュールを立て、昼勤時には毎朝5時から6時に起きて、腕立て伏せを30分程度行うなど肉体的鍛錬を図るとともに、自らのキャリアアップにつながる勉学に励み、国家試験を受けて資格を得たいと考え、これに向けて毎日勉強を欠かさず、あるいは、学資を貯めるため生活を切り詰めるとともに自ら積極的に残業等を引き受けるなどしていたが、次第に理想としていた睡眠時間数と勉強・肉体鍛錬に費やす時間を確保することが困難となって、勉強も思うにまかせないようになり、次第に睡眠不足等に陥って、その現実に思い悩むようになったのである。
エ 勇士は、お金を稼ぐため、時間外・休日勤務に積極的に応じ、出張や夜勤も手当が入ることを喜んでいた。勇士は、お金への執着が非常に強く、出張時には食費その他の支出をこと細かくメモに残していた。勇士は、幼少時から金銭に窮するという経験を重ねた結果、お金を見て喜ぶという特殊な感性を持つようになり、通常人と違った金銭感覚を備えるようになったのである。
しかし、勇士は、平成11年1月、爪に火をともすようにして学資として貯蓄していた貯金の半額にも相当する70万円もの大金を実母である一審原告と実兄の揚一とに貸さざるを得なくなり、そのことによっても大きな挫折感を感じ、このことが自殺の大きな要因になったものと考えられる。勇士ががんばって金銭を蓄えたものの、それを一審原告や揚一が取り上げていったことが勇士にとって自己実現の阻害として認識された可能性が相当程度あり、自殺直前の金銭の家族間でのやり取りは勇士の精神状況に大きな影響を与えたものと考えられる。
オ 勇士は、勉強をする時間が十分に確保できないとの考えから、資格試験のための勉強時間を確保するため仕事を辞めようと考えたが、そうなると、当面の資金が十分ではなく、その見込みも立たないとの思いを強め、頼りにしていたにもかかわらず自分から貴重な金員を持ち去った一審原告らに対する落胆の気持ちもあり、生きがいの喪失あるいは一審原告に対する抗議の気持から、「無駄な時間を過ごした」という走り書きを残して、一審原告の誕生日に発作的に自殺したものと考えるのが相当である。このように考えて始めて勇士の同僚が勇士の精神的変調に全く気付かなかったことを説明することができるのであり、退職申出時の勇士の言動とも符号する。すなわち、勇士の自殺は、うつ病などの精神疾患を原因とするものではない。
カ また、勇士の睡眠不足は、勇士自らが選んで実践していたものであって、業務の多忙によるものではなかったことが明らかである。このように考えれば、一審原告が勇士の健康悪化を知りながら、一審被告らに抗議するでもなく、医者の受診を勧めることもしなかったことに合点がいくのである。一審原告は、勇士が将来のために日夜がんばっていることを知っており、そのため睡眠時間を切り詰め、あるいは、将来の学資を貯めるために生活を切り詰めていたことも知っていた。しかも、勇士が生来のがんばり屋で従来も同様の生活を続けていたからこそ、自殺するなど思いもよらなかったものと想像され、そのため、勇士の自殺の後、その事件性を疑い、また、その真相を知ろうとして、情報を収集していたのではないかと考えられる。
キ いずれにせよ、仮に勇士の健康悪化があったとしても、それは勇士が自ら選択した生活設計に起因するものであって、一審被告ニコンにおける勤務状況を原因とするものではない。
(5) 勇士の業務の過重性に関する一審原告の陳述及び供述は、次のとおり信ぴょう性に欠け、事実認定の基礎とすることができない。
ア その陳述及び供述の基礎資料とするメモや台紙の作成及び廃棄の経緯が極めて不自然である。
イ 勇士の交替制勤務開始以後の継続的な健康状態の悪化は、一審原告の陳述及び供述のみが証拠であって、上司や同僚等の誰ひとりとしてそのような状態に気付かなかった。また、一審原告が勇士の健康状態の悪化を認識していたのだとすれば、何の対処もしなかったことは極めて不自然である。
ウ 勇士の体重の減少について、客観的な証拠はない。
エ 一審原告は勇士が食欲不振となり食事が取れないといっていた旨供述又は陳述しているが、勇士のメモや同僚の話によっても勇士が食事を取っていたことは明らかである。
オ 一審原告の陳述及び供述を前提とする限り、勇士が自殺したとなれば一審被告ニコンにおける就労に起因した精神的及び肉体的不調が自殺の原因であると考え、これに沿った言動をするのが通常であろうが、一審原告及びその家族は、平成11年6月の時点においても、勇士の自殺の原因が不明であると述べ、一審被告ニコンに対する責任追及の態度を示していない。
(一審被告アテスト)
(1) 勇士の平成11年2月23日の退職申出に対し、対応した熊谷営業所のSNは、勇士に対し、退職は就業規則により早くても同年3月末ころになると伝えており、また、一審被告アテストもその退職申出に従って退職手続を取っており、一審被告アテストが勇士の退職を拒否したことはない。勇士が退職申出をしてから自殺するまでの間には数日間あり、その間に勇士の自殺を誘発する原因が生じた可能性が高い。
(2) 判断指針では、精神障害の発症前おおむね6か月間における心理的負荷を判断対象とすることが原則とされている。これは、心理学の研究において、心理的負荷が強く関係する精神障害の場合、その精神障害発症の6か月前からの出来事が調査されるのが一般的であり、ICD-10の大きな心理的ショックの後に遷延した反応として起こる(心的)外傷後ストレス障害(PTSD)の診断ガイドラインにおいても、6か月間を経過して発症することはまれとされているという心理学的知見に基づく基準である(甲95)。
ア 交替制勤務
交替制勤務は、平成9年12月15日から開始しており、これによる心理的負担があったとしても、平成11年2月の精神障害発症に対する心理的負担として評価することは上記の心理学的知見に真っ向から反する。交替制勤務が精神障害を発症するおそれのある心理的負担に当たることの根拠はなく、仮に一定の心理的負担があったとしても、これを精神障害の発症に係る心理的負担とするのは時期的にみて明らかに失当である。
イ クリーンルーム内作業
クリーンルーム内作業は、平成9年10月27日から開始しており、交替制勤務と同様、これを精神障害の発症するおそれのある心理的負担として論じるのは筋違いである。
そもそもクリーンルームが劣悪な環境であるなら、勇士以外にも精神障害を発症する作業者が多数存在するはずであるが、その事実はない。また、特殊な作業環境であっても作業者が適応していくことによって心理的負担も減少していくのであり、勇士がクリーンルーム内作業について不平不満を述べていたこともうかがえない。
ウ ソフト検査実習
平成11年1月24日から同年2月7日までのソフト検査実習は、一般検査時にしていたのと同様のデータ収集作業であり、仕事内容の変化はほとんどないものである。また、その前に6日間連続の休日があり、同年1月は全体で15日間の休日が存在している。 |