『控訴審・判決全文』


―判決(40頁・後7行〜50頁)―


エ 解雇の不安
   そもそも、勇士が解雇の不安を訴えていたという事実自体が疑わしい。また、熊谷製作所で外部労働者の縮小方針があったとしても、外部労働者の数は、平成10年当時の50名から平成11年1月15日に35名に変化しているにすぎず、勇士自身が解雇通告や退職勧奨を受けた事実もない。勇士は、一審被告アテストの他の従業員との日常的な交流はなく、一審被告アテストの従業員が減ったことによって特段の心理的影響を受けたとは考えられないし、留学資金を得るための就職であれば、一審被告アテストでの勤務も一定期間に限ることが前提であったはずであるから、解雇の不安を勇士が持っていたとは認められない。

オ 出張
   自殺直近の出張でさえ、平成10年12月2日から同月5日までの4日間にすぎず、その後多くの休日も与えられている。出張が頻繁に繰り返されているわけでもなければ、平成11年2月に出張が予定されていたわけでもない。出張が精神障害を発症するおそれのある心理的負荷をもたらしたものとすることはできない。

カ 時間外労働及び休日労働
   平成10年7月の時間外労働及び休日労働(103時間)は、その後労働時間が減少するとともに長期休暇もはさんでいるから、その身体的精神的負荷をその後まで引きずったとする根拠はない。また、平成11年1月の時間外労働及び休日労働(77時間)は、同月に15日間の休日が存在することからしても、精神障害を発症するおそれのある心理的負担とは到底いえない。

(3) また、そもそも勇士がうつ病を発症していたとの事実は極めて疑わしい。
ア 勇士が自殺前に何らかの精神障害を発症していたことを示す診断書等の医証は一切ない。
イ 勇士がソフト検査実習後にうつ病を発症していたとすれば、親族以外の第三者にも認識可能な客観的兆候が認められてしかるべきである。ところが、勇士は、平成11年2月10日から同月25日まで合計9日間の交替制勤務に従事しているにもかかわらず、作業能力低下が認められた事実もなければ、社会的・職業的活動が困難となっていたことをうかがわせる言動も認められていない。同月21日には野菜を取るためのホットプレートを購入したというのであるから通常の生活意欲を有していたことが分かるし、同月24日に退職を申し出たときにも、勇士は、国家資格及び運転免許取得のため同月末には退職したい旨を述べ、次の仕事は就職雑誌でよく研究する旨を告げるなど理路整然とした行動を取っている。さらに、同月25日の一審原告への電話でも発言内容に奇異な点はなく、勇士が社会的、職業的あるいは家庭的な活動を続けていくことがかなり困難な状況にあったとは解されない。このように、勇士がうつ病を発症したとすべき客観的兆候は認められないのである。

(4) 次の事情によれば、勇士が東京都立大学を4年生の9月末で中退したのは、経済的困窮に起因するものであることが明らかである。
ア 勇士は、一審被告アテストに就職して熊谷製作所で事前打合せをした際、経済的な理由で東京都立大学を退学した旨説明した(乙71)。
イ 9月30日という前期の最終日に退学した事実から、勇士が後期授業料の納付を回避しようとしたことがうかがわれる。
ウ 勇士は、ソフト検査を始めたころ、同僚に対し、残業ができるのでうれしい、お金をかせぎたいと話し、また、給料の大半を家族に仕送りしているので、残りでギリギリの生活をしているとも話している(乙55、丙10)。
エ 勇士は、平成9月10日に入社して以降、平成10年8月まで預金をすることができていない。

オ 勇士は、東京都立大学在学中、財団法人実吉奨学会から月額3万円、日本育英会から月額3万5000円の奨学金をそれぞれ貸与されていたが、これらの受給額のみでは勇士ひとりの学費及び生活費すらまかなうのは不可能であり、その当時のその他の収入等については一切明らかにされていない。
   そして、勇士が一審被告アテストに就職するに際し入寮を希望したこと、勇士が大学を中退した後わずか1か月余りのうちに一審原告ら親子3人がそれまで暮らしていた世田谷の住所を後にしていること、熊谷の勇士の寮に借金取りが来たとの話を勇士の同僚が勇士から聞いていることからすれば、一審原告らは平成9年秋に悪質な借金取りに所在を知られたか知られそうになったため、あわてて身を隠し、それでも借金取りから身を隠すことができず、勇士は給料の中から返済原資を拠出させられ、そのためぎりぎりの生活費での生活を余儀なくされたと思料される。
   勇士は、平成10年8月以降、銀行口座に振り込まれた給料を余り引き出さず口座に残し、平成11年1月14日の時点では残高が154万9419円まで達した。ところが、その直後の同月23日、同口座から50万円が引き出され、続いて同年2月8日にも20万円が引き出されて、口座残高は70万1999円にまで減少した。この預金引出しについて、一審原告は、勇士が一審原告や揚一に対し自発的に貸与したものであると主張しているが、信用することはできない。一審原告や揚一の職業や収入などについて一審原告が全く明らかにしていないことにかんがみれば、一審原告や揚一は、勇士に経済的に依存していたといわざるを得ない。そうすると、上記の預金引出しは、一審原告や揚一が勇士から無心あるいは召し上げたものにほかならないというべきである。一審被告アテストを退職して難関の資格試験の受験勉強に専念するためには蓄えが必要不可欠であるのに、1年以上かかってようやく蓄えた金員の半分を無心あるいは召し上げられ、今後もさらに無心あるいは召し上げを受ける危険性が高いという事実を突き付けられた勇士の落胆あるいは無念は想像するに難くない。
   勇士の死亡推定日のうち3月6日は一審原告の誕生日である。また、勇士が自室のホワイトボードに残した「無駄な時間を過ごした」との記載について勇士の同僚は、家族との関係で何らかの問題があり、仕事を一生懸命して親に仕送りして自分の楽しみがなかったことを指しているのではないかとの印象があると述べている。これらによれば、勇士の自殺は、生活苦又は借金苦のために大学を卒業間際で中退せざるを得ず、一審被告アテスト就職後も一審原告への仕送りのために預金もままならず、生活費を切り詰めてようやく預金を作ることができるようになってきたら、今度はその預金を一審原告や揚一に無心あるいは召し上げられるに至った勇士が将来に絶望し、一審原告への抗議の意味を込めて同人の誕生日にホワイトボードへの書き置きを残してしたものと考えるのが妥当である。
   さらに、勇士は、第二種電気主任技術者試験という難関試験の受験勉強を進めていたところ、その時期とうつ病発症の時期が重なっていることからすれば、その受験勉強によるストレスが勇士にとって相当程度の心理的負荷となっていたことが明白である。
   このように、勇士にはうつ病発症の原因となる私的な事情があったから、熊谷製作所における業務とうつ病との間には因果関係は存しない。また、勇士がうつ病を発症していたとしても、その程度によって、自殺念慮の発現やその程度は変わるはずであり、また、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたといえるか否かも異なるはずである。ところが、勇士の自殺直近における言動から中等度以上のうつ病にり患していたとは到底解されないから、うつ病により行為選択能力が著しく阻害された状態での自殺であったかも疑わしいというべきであり、うつ病と自殺との因果関係も認められない。

(5) 本件では、勇士が精神疾患を発症したことを示す医証が一切存しない上、勇士の生前を知る友人等の供述さえもなく、勇士の言動のほぼすべてが一審原告の供述及び陳述のみを根拠とする特殊な証拠構造となっている。
    しかし、一審原告の供述及び陳述は、例えば次のような多くの点で客観的証拠と整合性がなく、その不実性は明らかである。
ア 勇士の一審被告アテストへの就職時の体重の点
イ 一審原告が一審被告アテストへの就職時の勇士の写真であるとして提出した写真の点
ウ 勇士のキーボード入力が一本指であったとする点
エ 平成10年11月に勇士が増員を願い出たとする点
オ 勇士が希望して一審原告らに金銭を貸し付けたとする点
カ 平成11年1月5日に引っ越した本件居室について勇士が不満を述べていたとする点
キ 他の請負作業者等の退職に伴い、勇士の仕事量が増加したとする点

一審被告ら又はその被用者の注意義務違反・安全配慮義務違反の有無(争点2)
(一審原告)

(1) 一審被告ニコンの被用者の注意義務違反
ア 勇士は、熊谷製作所において、一審被告ニコンの指揮命令の下で業務に就いていた。勇士の労働日及び労働時間は、一審被告ニコンが管理していた。
   平成9年10月、勇士は、熊谷製作所精機事業部精機品質保証部第二品質保証課成検係に配属となった。一審被告ニコンの被用者である同部第二品質保証課マネジャー(課長相当職)ST.M(以下「ST」という。)及び同課成検係チーフ(係長相当職)KK.K(以下「KK」という。)は、勇士をその指揮監督の下においてステッパーの完成品検査に従事させた。STとKKは、勇士の業務内容、労働日及び労働時間について指揮監督した。同課成検係は、平成10年10月に第一成検係(ソフト検査以外)と第二成検係(ソフト検査)に分かれたが、KKが第一成検係のチーフとなり、勇士は、引き続きKKの指揮監督の下で第一成検係の業務に従事した。

イ 夜勤・交替制勤務は、人間の生体リズムに反し、労働者の心身の健康を損なう危険性があることは周知の事実であるから、一審被告ニコンの管理職であるST及びKKとしては、勇士を夜勤・交替制勤務に従事させるに際して、勇士が心身の健康を損なうことがないように、夜勤回数を少なくし、夜勤中の勤務時間を少なくするなどして、過重な業務にならないように注意すべき義務があった。しかるに、ST及びKKは、この注意義務を怠り、平成9年12月15日から平成11年2月25日までの1年2か月余の期間にわたり、過重な交替制勤務を勇士にさせた。
  具体的には、夜勤時の所定労働時間の8時間を大幅に超える9時間45分に設定し、かつ、しばしば夜勤時において時間外労働を行わせた。また、夜勤を連続して行わせ、3日間連続の夜勤を常態化させ、夜勤終了時から次の勤務開始までを16時間以上の間隔とすべきところ、わずか13時間しか間隔を設けず、夜勤残業時にはより短い間隔とした。さらに、夜勤時に仮眠休養時間を与えず、1か月の夜勤回数を多くとも8回以下とすべきところ9回も行わせたことがあった。

ウ 夜勤・交替制勤務に従事している労働者に対して、夜勤以外の日においても時間外労働や休日労働をさせないように注意し、やむなくさせるとしても最小限にとどめ、過重な業務をさせないように配慮すべきであるにもかかわらず、ST及びKKは、勇士に対し、平成10年12月15日から平成11年2月25日までの間、過重な労働をさせた。
   具体的には、時間外労働・休日労働をさせ続け、平成10年1月から12月までにその合計は302時間に達したほか、同年3月の台湾出張、同年7月から8月にかけての仙台出張及び同年12月の台湾出張中に時間外労働・休日労働を含めて過重な労働をさせた。また、同年7月には、9日間連続勤務をさせ、同月の時間外労働は103時間に達した。さらに、平成11年1月の時間外労働は77時間に達し、かつ、その従事した作業は従来より複雑で難しいソフト検査であった。加えて、同月24日から同年2月7日まで15日間にわたる連続長時間勤務をさせ、同日以前の1か月で時間外労働が100時間を超えるような労働に従事させ、かつ、その後4日間の昼勤務を経て、同月15日には夜勤に復帰させた。

エ 36協定(丙1)上、勇士に関する時間外労働は、1日上限3時間とされ、休日には17時30分以降の労働が禁止されていたにもかかわらず、ST及びKKは、これに反して、勇士に時間外労働や休日労働を繰り返し行わせていた。

オ クリーンルームという精神医学的に過酷な作業環境における業務を命ずる場合には、心身への負担を軽減するための有効な措置を講ずべきであるのに、ST及びKKは、これを怠り、勇士に立ち続けの作業を命じ、快適な休憩室での休憩時間を確保せず、勇士の心身への負荷を一層増幅させた。

カ 派遣労働者を指揮監督するには、働く者の権利が侵害されることのないように配慮し、正規従業員との不当な差別的取扱いをしないよう注意すべき義務があるにもかかわらず、ST及びKKは、これを怠り、労働者派遣法の脱法行為を行い、正規従業員が休日を取得しているときに、勇士に対し、15日間連続長時間勤務を命ずるという差別的取扱いをし、また、勇士に解雇の不安を与え、心理的負荷を一層増幅させた。

キ 労働安全衛生法及び労働安全衛生規則で定められた健康診断を実施すべきであるのに、ST及びKKは、これを怠り、6か月に1回の特定業務従事者(深夜労働者)の健康診断も1年に1回の定期健康診断も勇士に対して実施せず、また、同人の心身の健康状態の把握を怠り、うつ病発症及び悪化に対する対策を取らなかった。この点、一審被告ニコンは、勇士に対し、雇入時健康診断以降も定期健康診断を実施していたと主張している。しかし、一審被告ニコンは、その健康診断書を一審被告アテストに送付したとするのみであり、他方、一審被告アテストは、労働安全衛生規則51条によって5年間の保存義務があるのに、熊谷営業所閉鎖の際に紛失したとして、結局、その健康診断書は本件訴訟には提出されていないから、一審被告ニコンの主張は認められない。

ク 平成11年2月23日及び24日に勇士が一審被告アテストに退職を申し出たことを遅くとも同年3月3日には聞いたのであるから、勇士の退職の自由を尊重すべきであったにもかかわらず、ST及びKKは、これを怠り、一審被告アテストに対し、同年4月15日まで勤務してもらいたい旨伝えるなどして、勇士の退職の申出を受け入れなかった。この結果、勇士の心理的負荷を一層増幅させた。

ケ 平成11年2月26日、勇士が無断欠勤した際、メンタルヘルスの観点から異常を察知して必要な措置を講ずるべきであったにもかかわらず、ST及びKKは、これを怠り、同年3月10日の遺体発見まで何らの有効な対策も取らなかった。

コ ST及びKKは、勇士を指揮監督していたのであるから、勇士が過重な業務に従事していることを認識し、その業務により心身の健康を損なう危険があることを予見することが可能であったのに、勇士の業務上の負担を軽減させるための措置、健康を保持するための施策、健康悪化を防ぐための施策を取らなかった。ST及びKKが必要な措置を取っていれば、勇士の死亡を回避することが可能であった。

サ 以上により、ST及びKKは、勇士の死亡に対し、それぞれ不法行為責任を負う。したがって、ST及びKKの使用者である一審被告ニコンは、勇士の死亡について、使用者責任を負う。

(2) 一審被告アテストの被用者の注意義務違反
ア 平成9年10月、一審被告アテストは、勇士と雇用契約を結び、熊谷営業所所長のSHが勇士の労務管理を担当した(平成10年12月11日以降は、SNが担当した。)。SH及びSNは、勇士を熊谷製作所に派遣し、一審被告ニコンの指揮命令の下に置いた。

イ 一審被告アテストが雇用する勇士を一審被告ニコンに派遣し、その指揮命令の下に置くのであるから、SH及びSNは、勇士の就労状況を日常的に把握し、勇士の業務がその健康を損なう危険があるときにはこれを事前に防止すべき義務があるにもかかわらず、これを怠り、勇士が過重な夜勤・交替制勤務に従事することを漫然と放置し、クリーンルームでの過酷な労働環境において勇士が従事し、また、36協定に反した時間外労働、休日労働、出張等の過重業務に従事することも放置し、一審被告ニコンに対する改善要請を含めて何らの改善措置を取らず、勇士の心身の健康の悪化をもたらした。

ウ 職業安定法、労働者派遣法に基づく適法な労働者派遣を行うべきにもかかわらず、SH及びSNは、これを怠り、業務請負契約という名目で実質的に労働者派遣を行うという脱法行為によって勇士の法的地位を不安定にし、その心理的負荷を一層増幅させた。

エ 労働安全衛生法及び労働安全衛生規則で定められた健康診断を実施すべきであるにもかかわらず、SH及びSNは、これを怠り、勇士に6か月に1回の特定業務従事者(深夜労働者)の健康診断も、1年に1回の定期健康診断も実施せず、勇士の心身の健康状態の把握を怠り、うつ病の発症及び悪化に対する対策を取らなかった。

オ SNは、平成11年1月ころから2月ころ、勇士の顔色が悪く疲れている様子であることを認識していたにもかかわらず、勇士の心身の健康を回復させるための措置を講じなかった。

カ SNは、平成11年2月23日及び24日に勇士から退職の申出を受けたにもかかわらず、これを速やかに受理せず、勇士の心理的負荷を増幅させた。

キ SNは、日常的に勇士の出勤状況を把握すべきにもかかわらず、これを怠り、勇士が平成11年2月26日以降無断欠勤したのを放置し、3月10日に一審原告からの問い合わせによって勇士の住居を訪問し、その遺体を発見するまで、何ら有効な対策を取らなかった。

ク SH及びSNは、勇士が過重な業務に従事していることを認識し、その業務により心身の健康を損なう危険があることを予見することができたのに、勇士の業務上の負担を軽減させるための措置、健康を保持するための施策及び健康悪化を防ぐための施策を取らなかった。SH及びSNが必要な対応をしていれば、勇士の死亡を回避することは可能であった。

ケ 以上により、SH及びSNは、勇士の死亡について不法行為責任を負う。したがって、SH及びSNの使用者である一審被告アテストは、勇士の死亡について使用者責任を負う。

(3) 一審被告らそれぞれの注意義務違反
  一審被告らには、それぞれ、勇士に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、その遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して勇士の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負っていたのに、これを怠った過失がある。その具体的な内容は、一審被告ニコンについてST及びKKに関して、一審被告アテストについてSH及びSNに関してそれぞれこれまでに主張したのと同様である。
  また、一審被告らそれぞれに勇士のうつ病発症及び死亡についての予見可能性及び結果回避可能性があったことも、既にST、KK、SH及びSNについて主張したところと同様である。
  したがって、一審被告らは、それぞれ、勇士の死亡について不法行為責任を負う。


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