『控訴審・判決全文』 |
―判決(60頁・後6行〜70頁)― |
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(3) 一審原告は、一審被告ニコン自体の不法行為責任を主張しているが、法人自体に民法709条の適用はないというべきであるし、仮にこれがあるとしても、企業に属する多数の個人の行為が複合して、ひとつの法人の行為として社会的に評価され、その行為主体が個々の従業員各員を超えた独立の社会的作用を担っている法人であると観念される場合に限られるというべきである。本件において、一審被告ニコンに法人としてのひとつの行為があると評価すべき事実関係は存在しないというべきであり、一審被告ニコンに不法行為責任を認めることはできない。 (一審被告アテスト) (2) 従業員がうつ病にり患し、自殺という結果が生じた場合、使用者の予見可能性として、従業員がうつ病にり患する可能性で足りるのか、うつ病により自殺する可能性までの予見を要するのかが問題となるが、使用者責任も安全配慮義務違反もいずれも結果に対する過失責任を問うものである以上、結果に対する具体的予見可能性、すなわち、うつ病により自殺する可能性までの予見が必要であるというべきである。 (3) なお、一審原告は、平成17年10月31日付け第3準備書面において初めて債務不履行構成に基づく予備的請求をしたのであり、同書面は平成18年2月23日の当審第3回口頭弁論期日において陳述されたものであるから、同請求における附帯請求の起算日は同日というべきである。 |
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損害額(争点3) (2) 逸失利益 1億0021万3904円 イ 基礎収入については、我が国でも難易度の高い東京都立大学(現在の首都大学)の工学部電気工学科に進学し、卒業を間近に控えた大学4年生の秋に中退しており、取得した27単位のうち9単位を除いていずれも成績は優であったこと、熊谷製作所においても勇士の優秀さは高く評価され、一審被告らの関係者も勇士の優秀さを認めていること、今日の企業社会では能力主義が一般的に採用され、特に技術的専門的業務に従事する者については大学卒業資格の有無よりも能力が重視される傾向が強いこと、勇士が実際に得ていた収入は少なくとも年441万6132円であり、平成11年度賃金構造基本統計調査による23歳大卒男子の平均賃金を100万円以上も上回っていることなどにかんがみれば、勇士の賃金獲得能力は我が国における平均的な大卒男子の水準を下回るものではなかったことが明白である。したがって、勇士が将来において得ることができた蓋然性の高い賃金構造基本統計調査による大卒男子の平均賃金が基礎収入とされるべきであり、少なくとも男子全学歴計の平均賃金が基礎収入とされるべきである。 ウ 控除すべき中間利息は、法定利率とすることは理論的・経済論的に合理性がなく、金員の期待運用利回りという観点から決定すべきであることから年2%とするのが相当であり、そのライプニッツ係数は29.07996である。 エ 以上により、生活費控除率を50%とすると、勇士の逸失利益は次の算式のとおり1億0021万3904円となる。 (3) 死亡慰謝料 3000万円 (4) 弁護士費用 1314万1390円 (一審被告ら) (一審被告ニコン) (一審被告アテスト) |
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責任の阻却、過失相殺、いわゆる素因減額等の当否(争点4) 一審原告の主張どおりであれば、勇士は、体調不良があるにもかかわらずこれを訴えることなく就労を継続したことになるが、これは使用者が負う安全配慮義務と裏腹の関係で労働者が負っている自己保健義務に違反する対応であり、この対応のゆえに使用者において適切な措置を取り得なかったのであるから、一審被告ニコンの責任は阻却されるか、大幅に減殺されるべきである。 (一審被告アテスト) (2) 一審原告ら勇士の親族は、勇士の身体的変調を認識していたにもかかわらず、勇士に受診を勧めることをしていないばかりか、勇士の寮を訪れたり、勇士に休暇取得を勧めたりもしていない。そして、勇士自身も、身体的変調を来していたにもかかわらず、何ら医療機関を受診していないから、これらの事情は被害者側の過失として十分にしんしゃくされるべきである。 (3) 勇士のうつ病発症から自殺までは比較的短期間であり、一審被告アテストの結果回避可能性はきん少であった。他方において、一審原告は、勇士の体調悪化等を十分認識していたはずであることと比較しても、この事情は過失相殺をすべき事由である。 (4) 勇士は、執着性格といったストレスぜい弱性を有していたため、通常の労働者であれば精神障害を発症しない程度の心理的負担によってうつ病を発症したと考えるのが相当である。常軌を逸した長時間労働が認められ、労働者の個性の多様性が問題とならない事案と異なり、一見して過重な業務が存在しない本件においては、労働者の個性の多様性を実質的に検討した上で使用者の責任の程度が検討されるべきであり、勇士のこのストレスぜい弱性に応じて素因減額が行われるべきである。 (5) 次のとおり、一審原告の本件訴訟提起及び追行には極めて不可解な点があり、これらは一審原告の信義則違反又は証明妨害と評価せざるを得ないから、一審被告アテストの責任は否定されるか、軽減されるべきである。 ア 一審原告は、勇士の自殺について労働者災害補償保険の申請をしていない。 ウ 一審原告は、平成18年2月22日付け第7準備書面を提出する以前は、容易に連絡を取ることができたHIの所在不明、連絡不能を理由として、保存行為であるから勇士の損害賠償請求権のすべてを一審原告が行使できるという独自の主張に固執していた。ところが、同書面を提出するに至って、遺産分割協議により損害賠償請求権のすべてを単独で行使できるとの主張に改めたが、一審被告アテストの再三にわたる求釈明にもかかわらず、なぜHIと突然連絡を取ることができたのか、勇士の死亡後8年近くも経過した時点でなぜHIが遺産分割協議に応じたのか、及びなぜ勇士の損害賠償請求権のすべてを一審原告が単独取得することにHIが同意したのかといった点について説得力のある説明をしていない。 エ 一審原告は、勇士の遺書が電子データとして格納されていたものと推測される勇士のパソコンについて、勇士がパソコン操作に習熟せず、日記などは一切なかったと主張する一方で、当該パソコンは勇士の弟の上段寧実(以下「寧実」という。)がもらい受けて使ったが、平成11年7月ころハードディスクの調子がおかしくなったため、オペレーションソフトを再インストールしたことに伴い、従前のデータはすべて消去されたと弁解し、データ回復ソフトを用いて消去データの読み出しを試みさせてほしいと一審被告アテストが申し出ると、今度は当該パソコンは●●●(※職業、割愛)である寧実が仕事用にも使用しており守秘義務との関係でパソコンの提出等には応じられないなどと、到底信用できない弁解をし、現在に至るも当該パソコンの提示すらしていない。 (一審原告) (2) また、勇士の性格はまじめできちょうめんであったが、このような性格は、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものとはいえず、損害額を減額する理由にはならない。 (3) さらに、何らの法的な根拠もなく、抽象的に公平の見地からとして損害賠償額の減額をすることに何らの正当性もないし、本件においてそのような見地から減額をすることを相当とすべき事情も存しない。 (4) 一審被告アテストの信義則違反の主張は失当である。HIと一審原告はHIの金銭関係が原因で離婚し、かつ、HIは、子の養育義務を果たさなかったのであり、そのような事情がある中で、HIが一審原告と音信不通となり、勇士の死亡や本件訴訟の存在を長い間知らなかったとしても何ら不自然ではない。また、離婚以降、借金を抱えたHIが実際の住居と住民票を一致させなかったことも不自然とはいえない。 |
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消滅時効の成否(争点5) (一審被告アテスト) 他方、一審原告の主張によれば、HIは、平成11年5月以降、住民票を実家に移すつもりであったし、実際に平成12年9月25日に実家に帰り、同月27日に転入届出も提出している。HIは、平成11年5月以降、実家の母親と連絡を取っており、その間に母親を通じて勇士の死亡を知ったはずであり、一審原告は、HIの母親を通じて、HIと連絡を取ることができていた。そして、一審原告は、同年6月22日に訴訟代理人に法律相談をし、同年10月13日に民事調停を申し立て、平成12年7月18日に本件訴訟を提起している。訴え提起の当初から、一審被告らは保存行為を理由とする一審原告による勇士の損害賠償請求権の単独行使の主張を争っており、一審原告は、この主張が認められない場合に備えてHIと連絡を取り、本件訴訟提起を伝えていたはずである。しかるに、一審原告は、平成18年2月22日に至るまで、HIの所在が不明であるとする主張立証に終始してきた。これらによれば、遅くとも、HIが実家に帰った平成12年9月25日には勇士から相続した損害賠償請求権についてその損害及び加害者を知ったから、平成15年9月25日の経過をもってこの請求権の消滅時効が完成した。仮に、平成12年9月25日の時点でHIがこれらの点を知らなかったとしても、遅くとも平成15年2月19日までにはこれらの点を知ったことは明らかというべきである。 |
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