前提事実に加え、証拠(甲2、4、7、10、12〜15[以下、枝番号があるのに個別に摘示しない場合はそのすべてを含む。]、18〜31、49、50、51、53、55、56、61、68、70、73、78、81、84、96、108、113、121、123、139、140、145、147、178、181、182、188、190、192、乙7、10、18、21、25、49、50、52、54、55、61、65、73、93、118〜121、丙1〜3、5、8〜10、13〜15、18、21、26、37〜40、原審証人KK、原審証人SN)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(1)ア 勇士は、昭和50年11月19日、HIと一審原告との間の二男として、東京都目黒区にて出生した。勇士には、2歳年上の兄である揚一と2歳年下の弟である寧実がいる。
イ 勇士は、昭和57年4月東京都目黒区立AM小学校に入学し、昭和60年4月同区立HY小学校に、昭和62年6月東京都足立区立ND小学校にそれぞれ転校し、昭和63年3月同校を卒業した。
勇士は、同年4月同区立DI中学校に入学し、平成3年3月同校を卒業した。勇士は、同校においてクラスの体育係、班長、学級委員を務めたほか、1年生後期と2年生前期には生徒会副会長を、2年生後期と3年生前期には生徒会長をそれぞれ務め、また、3年間を通じて陸上部に所属し、球技大会実行委員も努め、3年生3学期には東京都の体育優良生徒表彰を受けた。学業成績では、3年間を通じて、不得意としていた英語がほぼ普通との評価で一定したものの、その他の科目はすべて優れているかやや優れているとの評価を受けた。勇士は、3年間を通じて、まじめで努力家であると評され、様々な分野でリーダーとして活躍した。もっとも、中学3年生の2学期半ば以降悩み顔を見せていたことがあった。
勇士は、平成3年4月10日東京都立航空工業高等専門学校電子工学科に入学し、平成8年3月18日同校を卒業した。勇士は、同校において、修得単位175単位中英語等の19単位(いずれも良)を除くすべてが優(専門科目修得単位92単位中90単位が優)という学業成績を修め、また、卒業に際して、同校長からの推薦により東京都産業教育振興会から在学中人格を磨き学業の向上に努めたなどとして表彰された。
勇士は、同年4月1日東京都立大学工学部電気工学科3年生に編入学し、平成9年9月30日同大学を4年次で退学した。勇士は、同大学において27単位を修得し、その成績は英語II(良)、電気工学実験第三(良)、電気工学演習第三(可)及び電気回路学第二(良)の合計9単位を除き優であった。同学部への編入学生は履修スケジュールから4年次で卒業することがかなり厳しいためもう1学年を加えて5年次で卒業することが多く、勇士の場合も、同大学を退学した際には卒業に必要な単位の修得ができていなかった(平成17年当時に行われた一審被告ニコン担当者の首都大学東京[旧東京都立大学]への聴き取り調査によれば、同科において学生との接触が密接で学生について記憶を有することが多い実験担当教員は、勇士についておとなしい学生との印象をもっていたことがうかがわれる。しかし、勇士の退学の理由は不明であった。)。
勇士は、同大学への編入学に当たり財団法人実吉奨学会及び日本育英会から奨学生として採用され、同奨学会から奨学金月額3万円の貸与を、同育英会から奨学金月額3万5000円の貸与をそれぞれ退学するまで受けた。勇士は、同大学の平成8年度学生定期健康診断において異常を指摘されておらず、その際、身長は170.9cm、体重は62.5kgであった。
ウ 勇士は、出生後、東京都目黒区で家族と共に生活したが、少なくとも、昭和60年ころ同区内で転居し、さらに、昭和62年ころ東京都足立区に、平成8年ころ東京都世田谷区にそれぞれ転居した(一審原告は、昭和60年ころの転居以前に、もう1回転居したことがある旨を陳述している。)。
また、HIと一審原告は、勇士が中学3年生であった平成2年11月21日に協議離婚し、勇士は、一審原告の監護養育を受けた。
(2)ア 勇士は、平成9年10月、就職情報誌で一審被告アテストが従業員を募集しているのを見付けてこれに応募し、同月20日、一審被告アテスト従業員HG.Kと共に熊谷製作所を訪れ、一審被告ニコン従業員で熊谷製作所従業員の労務管理及び派遣元会社・請負会社の窓口業務を担当していたMT.M(以下「MT」という。)及び第二品質保証課マネジャーのSTと面接した。
同年10月27日、勇士は、雇用期間を同年11月30日までとする雇用契約を結んで一審被告アテストの従業員となり、同年10月27日から熊谷製作所での勤務を開始した。この雇用契約では、仕事内容は半導体製造装置の組立・調整・検査、就業場所は一審被告アテストの熊谷営業所株式会社ニコン熊谷製作所内事業所、就労時間は午前8時30分から午後5時30分まで(うち休憩時間60分)又は1か月単位の変形労働時間制、賃金については、月給29万円(試用期間[6か月]は24万2000円)、夜勤手当1日当たり2000円、時間外労働、休日労働及び深夜労働の場合には25%の割増率とし、毎月末日締切の翌月15日銀行振込とする、6か月間継続した場合年次有給休暇を10日とするとされており、また、就労時間のうち前者は研修期間についてのもので、後者の内容は午前8時30分から午後7時30分まで(うち休憩時間75分)か午後8時30分から午前7時30分まで(うち休憩時間75分)とするというものであった。また、休日及び勤務日について、休日は毎週日曜日とするほか、企業カレンダーによることとし、時間外労働をさせること及び休日労働をさせることがあるというものであった。
また、勇士は、一審被告アテストから寮として埼玉県熊谷市●●●(※住所番地、割愛)所在のNK206号室の割当てを受け、それまで住んでいた東京都世田谷区の自宅から同室に移り、そこで同僚と2人で居住することになった。
勇士と一審被告アテストの雇用契約は、平成9年12月1日、雇用期間を同日から平成10年10月26日までとするものに変更された(その余の点はそれまでと同様であった。)。
イ 既に認定したとおり、一審被告アテストとの雇用契約上、勇士の就業場所は熊谷営業所株式会社ニコン熊谷製作所内事業所とされたが、熊谷製作所の内部に一審被告アテスト独自の事業所は存在せず、勇士は、一審被告ニコンの半導体露光装置品質保証部第二品質保証課成検係に配属され(平成10年10月に同係は第1成検係[社内検査担当]と第2成検係[ソフト検査担当]とに変更されたが、その際、勇士は前者に配属され、その後この配属が継続した。)、ステッパーの一般検査を担当する検査グループに社内納入検査員として属し、業務遂行上必要な工具等はすべて一審被告ニコンから無償で提供を受け、同係検査グループ・リーダーの指示を受けて業務を行い、その業務遂行全体について同係の係長職に当たるチーフのKKによる指揮監督を受けた(同課の最高責任者はマネジャーであり、チーフであるKKは、同課マネジャーのSTの指揮監督を受けていた。)。勇士の業務遂行について一審被告アテストが具体的な指示をしたり管理をしたりすることは一切なかった(そもそも、勇士が作業を行っていた熊谷製作所のクリーンルームに一審被告アテストの担当者が日常的に出入りすることはできなかった。)。熊谷製作所において勇士のような一審被告ニコン従業員でない者は「派遣社員」と呼ばれており、同課の人員配置表上は「人材派遣者」と表示されていた。
なお、一審被告らは、一審被告ニコンと一審被告アテストが業務請負契約を締結し、同契約に基づき、請負人たる一審被告アテストの従業員として勇士が一審被告アテストの業務に従事していたとの趣旨の主張をしており、弁論の全趣旨によれば、一審被告ニコンと一審被告アテストとの間に成立した何らかの契約に基づいて勇士が熊谷製作所で就労したことが認められるが、そうした契約として、一審被告ニコンと一審被告アテストとの間に業務請負契約が成立したと認めるに足りる証拠はない(一審被告ニコンがその証拠として提示する乙第1号証は未完成の契約書ひな型あるいは用紙にすぎず、これによって業務請負契約の成立を認めることはできない。)。
ウ 一審被告アテストが証拠として提出した就業規則(丙2の1)には次のとおりの定めが含まれている。
(ア) 第5条(勤務時間) 勤務時間は、休憩時間を除き原則として1日8時間、1週間40時間とする。
2 ただし、就業現場の事情により前項の勤務時間に処することができないものは、前項に準じて、個別契約で定める。
(イ) 第6条(始業、終業の時刻及び休憩の時刻) 始業、終業の時刻及び休憩の時刻は次のとおりとする。
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時間 |
時間 |
始業 |
午前8:30 |
午前8:30 午後8:30 |
終業 |
午後5:30 |
午後7:30 午前7:30 |
休憩 |
午後0:00
〜午後1:00 |
午後0:00〜午後1:00 午前0:00〜午前1:00
午後5:30〜午後5:45 午前5:30〜午前5:45
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2 技術社員について、出向先の就業現場の始業時刻及び休憩の勤務態様及び1か月単位の変形労働時間制に合わせることがある。
(ウ) 第7条(1か月単位の変形労働時間制) 1か月単位の変形労働時間制の始業・終業時刻、休憩時間は次のとおりとします。
始業 午前8:30 終業 午後7:30
午後8:30 午前7:30
休憩 午後0:00〜午後1:00 午前0:00〜午前1:00
午後5:30〜午後5:45 午前5:30〜午前5:45
2 変形勤務を取る場合の各月の起算日は毎月1日若しくは21日、1か月の単位は1日から末日まで若しくは21日から翌月20日までとする。
(エ) 第8条(始業、終業時刻の変更) 会社は業務の都合により、全部又は一部の従業員について、前各条の始業、終業及び休憩の時刻を変更することがある。ただし、この場合においても1日の勤務時間は実働8時間及び1か月単位の変形労働時間制の場合は第7条の労働時間を超えないこととする。
(オ) 第10条(時間外労働) 会社、業務の都合により所定時間外に勤務を命ずることがある。
2 前項の時間外勤務は、所轄労働基準監督署長に届け出た従業員代表との時間外勤務協定の範囲内とし、労働基準法第37条に定める割増賃金を支払うものとする。
(カ) 第12条(休日) 休日は次のとおりとする。
4週8休制
(キ) 第14条(休日勤務) 会社は業務上必要がある場合には、第12条の休日の勤務を命ずることがある。
2 前項の休日勤務は、所轄労働基準監督署長に届け出た従業員代表との休日勤務協定の範囲とし、労働基準法第37条に定める割増賃金を支払うものとする。
(ク) 第15条(深夜勤務) 会社は業務上必要がある場合で次の者については、深夜(午後10時から午前5時まで)に勤務を命ずることがある。この場合、労働基準法第37条に定める割増賃金を支払うものとする。
(1) 交替制によって使用する満16歳以上の男子
エ 一審被告アテストが証拠として提出した「時間外労働 休日労働に関する協定届」(丙1)には、業務の種類として「業務請負業」、事業の名称として「(株)ネクスター(株)ニコン内事業所」、事業の所在地として「熊谷市大字御稜威ヶ原201−9」、時間外労働をさせる必要のある具体的事由及び休日労働をさせる必要のある具体的事由としていずれも「納期に間に合わせる為」、事業の種類として「製造装置の組立」とした上で、平成9年10月21日より1年間、所定労働時間が1日8時間及び1日9.75時間のいずれの場合も1日につき3時間(1か月につき30時間、1年につき360時間)労働時間を延長することができ、また、所定休日が土曜日及び日曜日である場合並びに日曜日及び会社指定日である場合のいずれにおいても午前8時から午後5時30分まで労働させることができるとの協定が労働者の過半数を代表するHR.Yとの間に平成9年10月20日に成立した旨の記載がある。また、同届には、平成10年3月18日付けの熊谷労働基準監督署の受付印が押捺されている。
オ 勇士は、平成9年10月27日から同年12月14日までの間、日中に就業する形態により就労し、職場導入研修を1か月ほど受けたほか、ステッパーの社内検査を担当した。勇士が配属された第二品質保証課成検係の作業場所は、熊谷製作所の南北に細長い長方形をした敷地(その面積は約10万7000uある。)の北西角部分にある6号館内のクリーンルームであった。
勇士が就業する場合、同敷地の南西側にあるクラブハウスにあるロッカールームで作業着に着替えた上(作業着は一審被告ニコンから貸与され、作業着やベルト、名札の着用等についてルールが設けられていた。)、6号館の従業員出入口から6号館に入り、下駄箱にて室内履きに履き替えた上で、入場登録(出退勤カードをもって入場の操作をしてカードリーダーに打刻すること)を行い、クリーンルーム入口でクリーン着に着替え、クリーンルームに入場し、終業後は、逆に、クリーンルームを出てその入口でクリーン着を脱いだ後、退場登録(出退勤カードをもって退場の操作をしてカードリーダーに打刻すること。ただし、退場時刻が深夜0時以降になる場合は、守衛所にて退場時刻証明を受け、その証明書を職場経由で総務グループに提出する。)をし、下駄箱で靴を履き替えた上で、クラブハウスに戻り、そこで作業着から着替えて、退出するという手順であり、熊谷製作所で勤務する者はこの手順を履行することが一審被告ニコンから求められていた。
カ 勇士は、平成9年12月6日、SJ病院において健康診断を受けたが特段の異常はなかった。また、その際の勇士の測定結果は、身長が172.4p、体重が60.0s、血圧が124
/ 80rHgであった。
(3)ア 一審被告ニコンが一審被告アテストに送付した勇士の就業週報(以下「本件週報」という。)によれば、勇士は、平成9年12月、15日から17日までの毎日、昼夜2交替制勤務形態の夜勤(以下、単に「夜勤」といい、また、この形態の昼勤を単に「昼勤」という。)をし、15日は午後8時7分に出勤し、翌日午前8時40分退勤したものとされ(この項[(3)]において示す出勤時間とは本件週報により入場登録をしたとされる時間であり、退勤時間とは本件週報により退場登録をしたとされる時間である。また、この項[(3)]において示す勇士の出勤日か休日かの別、勇士が就いた昼勤、夜勤又は休日出勤の別、並びに就業の有無及び出退勤時間は、すべて本件週報に記載された内容として認めるものである。)、出勤時間から退勤時間までの時間(以下「拘束時間」という。)は12時間33分であった。16日は午後8時12分に出勤、翌日午前8時8分に退勤し(拘束時間は11時間56分)、17日は午後8時15分に出勤し、翌日午前7時56分に退勤した(拘束時間は11時間41分)。
その後の同月、勇士は、18日から21日までは休日を取り、22日は昼勤をし(午前8時16分出勤、午後7時33分退勤で拘束時間は11時間17分)、23日も同様であった(午前8時17分出勤、午後7時44分退勤で拘束時間は11時間27分)。その後、24日は休日であり、25日及び26日は夜勤をした(25日は午後8時5分出勤、翌日午前8時4分退勤で拘束時間が11時間59分、26日は午後8時13分出勤、翌日午前8時37分退勤で拘束時間が12時間24分)。27日から31日まではいずれも休日であった。
同月の勇士の就労は、日中に就業する形態(14日までのもの)によるものが10日(拘束時間の合計は94時間18分)、休日勤務が1日(出勤が午前8時21分、退勤が午後7時6分、拘束時間が10時間45分)、夜勤が5日(拘束時間の合計は60時間33分)、昼勤が2日(拘束時間の合計は22時間44分)であり、合計18日間就業してその拘束時間の総合計は188時間20分であった。 |