『控訴審・判決全文』


―判決(120頁・後3行〜130頁)―


なお、出来事の発生以前から続く恒常的な長時間労働、例えば所定労働時間が午前8時から午後5時までの労働者が深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っているような状態等が認められる場合には、それ自体で評価表1の(2)の欄による心理的負荷の強度を修正する。

b 出来事に伴う変化等による心理的負荷の評価
  その出来事に伴う変化等に係る心理的負荷はどの程度過重であったかを評価するため、出来事に伴う変化として評価表1の(3)の欄の各項目に基づき、出来事に伴う変化等はその後どの程度持続、拡大あるいは改善したかについて検討する。具体的には、次に基づき、出来事に伴う変化等による心理的負荷の評価に当たり考慮すべき点があるか否か検討する。

第1に仕事量(労働時間等)の変化について、恒常的な長時間労働は精神障害の準備状態を形成する要因となる可能性があると解されていることから、aに示した恒常的な長時間労働が認められる場合には十分に考慮する。なお、仕事の量の変化は基本的には労働時間の長さ等の変化によって判断するが、仕事の密度等の変化が過大なものについても考慮する。
  第2に仕事の質の変化について、職種の変更、仕事の内容の大きな変化、一般的に求められる適応能力を越えた要求等その変化が通常予測される変化と比べて過大であると認められるものについて考慮する。

 第3に仕事の責任の変化について、事業場内で通常行われる昇進に伴う責任の変化等通常の責任の増大を大きく超える責任の増大について考慮する。
  第4に仕事の裁量性の欠如について、単調で孤独な繰り返し作業等仕事の遂行についての裁量性が極端に欠如すると考えられる場合について考慮する。
  第5に職場の物的、人的環境の変化について、騒音、暑熱等物理的負荷要因等の多くが、その身体的作用のみでなく、同時に不快感を起こし、心理的刺激作用として働き、精神疲労を引き起こすことがあるとされているので、これらが著しい場合について考慮する。職場における人間関係から生じるトラブル等通常の心理的負荷を大きく超えるものについて考慮する。
  第6に支援・協力等の有無について、事業場が講じた支援、協力等は、心理的負荷を緩和させる上で重要な役割を果たすとされているので、出来事に対処するため、仕事のやり方の見直し改善、応援態勢の確立、責任の分散等上司、同僚等による必要な支援、協力がなされていたか等について検討し、これらが十分でない場合に考慮する。

c 業務による心理的負荷の強度の総合評価
  業務による心理的負荷の強度の総合評価は、a及びbの手順によって評価した心理的負荷の強度の総体が、客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷と認められるか否かについて行う。なお、「客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷」とは、評価表1の総合評価が「強」と認められる程度の心理的負荷とする。

ここで「強」と認められる心理的負荷とは、<1>評価表1の(2)の欄に基づき修正された心理的負荷の強度が「III」と評価され、かつ、評価表1の(3)の欄による評価が相当程度過重であると認められるとき(「相当程度過重」とは、評価表1の(3)の欄の各々の項目に基づき、多方面から検討して、同種の労働者と比較して業務内容が困難で、業務量も過大である等が認められる状態をいう。)、又は、<2>評価表の(2)の欄により修正された心理的負荷の強度が「II」と評価され、かつ、評価表1の(3)の欄による評価が特に過重であると認められるとき(「特に過重」とは、評価表1の(3)の欄の各々の項目に基づき、多方面から検討して、同種の労働者と比較して業務内容が困難であり、恒常的な長時間労働が認められ、かつ、過大な責任の発生、支援・協力の欠如等特に困難な状況が認められる状態をいう。)をいう。

d 特別な出来事等の総合評価
  業務による心理的負荷の強度は、基本的にはcにより総合評価されるが、<1>心理的負荷が極度のもの、<2>業務上の傷病により6か月を超えた療養中の者に発病した精神障害、<3>極度の長時間労働(例えば、数週間にわたり生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長時間労働により、心身の極度の疲弊、消耗を来たし、それ自体がうつ病等の発病原因となるおそれのあるもの)の事実が認められる場合には、cにかかわらず総合評価を「強」とすることができる。

(ウ) 業務以外の心理的負荷の強度の評価
  業務以外の心理的負荷の強度は、発病前おおむね6か月の間に起きた客観的に一定の心理的負荷を引き起こすと考えられる出来事について、評価表2により評価する。評価表2に示した出来事は、業務以外の日常生活において通常起こり得る多種多様の出来事を一般化したものであるので、個々の事案ごとに各々の出来事がどの「具体的出来事」に該当するかを判断して心理的負荷の強度を評価する。また、「具体的出来事」に合致しない場合は、どの「具体的出来事」に近いかを類推して評価する。

なお、評価表2においても評価表1と同様、出来事の具体的内容等を勘案の上、その平均的な心理的負荷の強度を変更し得るものである。評価表2で示した心理的負荷の強度「I」、「II」、「III」は評価表1で示したものと同程度の強度のものである。
  収集された資料により、評価表2に示された心理的負荷の強度が「III」に該当する出来事が認められる場合には、その具体的内容を関係者からできるだけ調査し、その出来事による心理的負荷が客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度のものと認められるか否かについて検討する。

(エ) 個体側要因の検討
  次のaからdに示す事項に個体側要因として考慮すべき点が認められる場合は、それらが客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度のものと認められるか否かについて検討する。
a 既往歴
  精神障害の既往歴が認められる場合には、個体側要因として考慮する。
  
b 生活史(社会適応状況)
  過去の学校生活、職業生活、家庭生活等における適応に困難が認められる場合には、個体側要因として考慮する。

c アルコール等依存状況 
  アルコール依存症とは診断されないまでも、軽いアルコール依存傾向でも身体的に不眠、食欲低下、自律神経症状が出たり、逃避的、自棄的衝動から自殺行動に至ることもあるとされているので、個体側要因として考慮する。過度の賭博の嗜好等破滅的行動傾向も同様に考慮する。

d 性格傾向  
  性格特徴上偏りがあると認められる場合には、個体側要因として考慮する。ただし、それまでの生活史を通じて社会適応状況に特別の問題がなければ、個体側要因として考慮する必要はない。

オ 治ゆ等
  心理的負荷による精神障害にあっては、その原因を取り除き、適切な療養を行えば全治する場合が多い。その際、療養期間の目安を一概に示すことは困難であるが、業務による心理的負荷による精神障害にあっては、精神医学上一般的には6か月から1年程度の治療で治ゆする例が多いとされている。

カ 自殺の取扱い
(ア) 精神障害による自殺
  ICD-10のF0からF4に分類される多くの精神障害では、精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められていることから、業務による心理的負荷によってこれらの精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性が認められる。

(イ) 遺書等の取扱い
  遺書等の存在については、それ自体で正常な認識、行為選択能力が著しく阻害されていなかったと判断することは必ずしも妥当ではなく、遺書等の表現、内容、作成時の状況等を把握の上、自殺に至る経緯に係る一資料として評価する。

一審原告の陳述及び原審供述等の信用性について
  ところで、一審原告は、その陳述書等(甲61、96、101、152)、メモ(甲67の手書き部分)及び原審における本人尋問において、一審被告ニコンの指揮命令下に就業した後の勇士の言動、状況等について種々の陳述又は供述をしており、また、これが記載された寧実作成の「勇士年表より」(甲97)を提出している。
  しかし、一審原告によるこれらの陳述及び供述(以下、「勇士年表より」における寧実によるものを含めて「一審原告の陳述等」という。)のほとんどには、客観的な裏付けが見当たらない(一審原告は、一審原告の陳述等の基礎となったメモが存在したと説明しているが、そのメモ自体を廃棄してしまったとして当該メモは口頭弁論には現れていないから、この説明をもってしても一審原告の陳述等の裏付けとはならない。)。

かえって、一審原告の陳述等の間での食い違いあるいは変遷があったり(陳述書[甲61]では、一審原告の陳述等の食い違いあるいは変遷があったり(陳述書[甲61]では、一審原告の陳述等の基礎となったとするメモの内容は、証拠保全によって本件週報が手に入った時点で本件週報のコピーの関係に長時間のところに書き写す作業をし、その後当該メモは処分したと陳述していたのが、原審本人尋問では、証拠保全をする前に当該メモの内容をノートに全部書き写し、証拠保全をする前、勇士の死亡後半年ほど後の時点で当該メモを処分し、また、当該ノートを陳述書作成後、平成14年8月8日の1か月前に処分したといったん供述し、その後、当該ノートはノートではなくメモをまとめたものであると供述を変遷させた。

また、陳述書[甲61]では、勇士がキーボードの入力を一本指でしているから疲れる、ブラインドタッチもできないしといった話をしていたと陳述していたのが、原審本人尋問では、勇士が一本指状態だといっていたのは実際の一本指ではなく、本当に一本指のような状態に自分の速度が感じられるほどの仕事があったのではないかと思うと供述し、陳述の趣旨を全く異なるものに変遷させた。さらに、ここの現れる証拠保全の申立て[浦和地方裁判所熊谷支部平成12年(モ)第320号]は平成12年3月にされたところ、そうしたメモあるいはノートが存在したというのであれば、これが申立ての疎明資料として手続に現れてしかるべきではないかと考えられるのに、これが申立資料とされていないことは当裁判所に顕著であって、この経過は極めて不審というしかない。)、

余りに誇大ではないかと思われるものがあったり(当審証人HIによれば、●●●[※勇士の父の個人情報につき、7行割愛]をするようになったなどという部分[甲96]がある。)、一審原告自身が不審な供述態度を示したりしている(陳述書[甲61]では、勇士が平成10年8月までは自分で食事を作っていたようだが、同年9月及び10月には勇士が疲れて料理をほとんど作らなくなっていたと陳述しているが、原審本人尋問では、この点、勇士が自分で納得できる形で作れなくなったから、うまく作れないといういい方をしたんだと思うと供述した後、勇士が食事をどうしていたのか問われて、明確な答えができなかった。)。

また、一審原告の陳述等を前提とすれば、一審原告は、勇士の心身の健康状態の悪化を平成9年年末ころから認識し始めていたというのであり、例えば、平成10年4月には勇士のほおがすっかりこけ、全体に薄黒く、見るからに顔色が悪いとはっきり見て取れ、同年5月には一日2食しか食べられないと勇士から深刻な感じの相談を受け、また、勇士がステッパーの検査に疲れをいうようになり、同年7月には就職前は普通30皿は食べていた回転寿司を6皿しか食べず、以前にも増して顔色が悪くなり、こめかみあたりの肉もやせ落ちて、目がとても大きく見えるようになり、

同年9月には疲労で自炊がほとんどできなくなり、同年10月には激やせ振りが定着したようにみえ、同年11月には記憶力や集中力の低下、頭熱感、胃痛、頭痛等の訴えを聞き、同年末には嗅覚検査や味覚検査をしていずれの感覚もなくなっていることが分かり一審原告自身がショックを受け、平成11年2月には勇士から「理科の簡単な問題が解けないようになってしまった」との言葉を聞き、また、その体重が52kgと大幅に減ったのをはっきりと数字で見たというのであるから、

そうであれば、勇士の健康状態の悪化を認識した比較的早い段階で医師の診察を受けるよう促すのが母としての通常の対応ではないかと思われるところ、特段の事情もうかがえないのに(一審原告の陳述書[甲101]には、こうした指摘に対して、普通の健康管理でできるだけのことをがんばったのであり、死に至るほどの大変な状況だという認識もなく、乗り越えようとがんばったものであるなどとする記載部分があるが、具体的な症状を認知しても医師の診察を受けないというのが普通の健康管理であるとはにわかに認められず、また、死亡の危険を認識するまで医師の受診の必要を認識できないとはおよそ考えられないのであって、この記載部分から医師の診察を受けるよう促すことができなかった特段の事情を認めることは困難である。)、

勇士が亡くなるまで一審原告がそうした対応を採らなかったことがその原審供述自体から明らかである。その上、原審において一審原告は、平成10年10月に東京都内に拠点を構えたと供述しているところ、その場所はどこでも構わなかったというのであるから、勇士の健康状態の悪化等その生活状況を認識していたというのであれば(一審原告の陳述等では、同年9月には勇士が疲労で自炊がほとんどできなくなったことを認識していたとしている。)、勇士と同居したり拠点設置を勇士の寮の近くにしたりして、その面倒を見ることを考えるのが自然ではないかと思われるのにそうしておらず、その理由としてそうしたことを考えるまでの健康不安が勇士にあるとの認識がなかったと供述し(東京都内に拠点を構えたのは、近くに寧実が住んでいたので拠点を留守にする際には寧実に管理をしてもらおうと思ったためであるという。)、勇士の生前にその熊谷の寮を訪ねたこともないというのである。

 以上によれば、一審原告が勇士の生活状況を把握し、心身の健康状態の悪化を認識していたと認めることは到底困難であって、むしろ、一審原告は勇士の生活状況一般についてほとんど把握していなかった疑いが強いといわざるを得ない。そうすると、別途裏付けとなる証拠が存するような場合を除き、一審原告の陳述等を採用することはできないといわざるを得ず(同様の観点から、丙第20号証の一審原告からの聴取結果とされる部分も同様である。)、また、前提とする事実関係について一審原告の陳述等に大幅に依拠するT.T医師の意見書(甲60、98、159)及び原審証人T.Tの供述中の勇士の症状等に関する部分も直ちに採用することは困難である。

勇士の自殺はうつ病によるものか否かについて
(1) 一審原告は、勇士がうつ病を発症しその結果自殺するに至ったと主張しており、一審被告らはこれを争っているから、以上に認定した事実に基づき、まずこの点を検討する。

(2) この点、自殺の中には「覚悟の自殺」、「理性的な自殺」も存するとされているところであるから、自殺をしたことから直ちに自殺者がうつ病等の精神疾患を発症していたことを認めることはできない。
  もっとも、近年の種々の研究によれば、自殺者の大部分に何らかの精神障害が認められることが明らかになっており、厚生労働省も自殺が起きる背景にはうつ病、統合失調症、アルコール依存症、薬物乱用、人格障害などの心の病が隠れていることが圧倒的に多いとしていることは既に説示したとおりである。

 また、勇士が平成11年3月上旬に自殺する際に遺書等を残したことは認められず(一審被告アテストは、勇士のパソコンにその遺書が電子データとして格納されていたものと推測されるなどと主張しているが、この主張が提出されたきっかけとなった事情と解されるSNからの一審被告アテスト代理人への事情説明においてもSNは同代理人に勇士の遺書はない旨を説明したものとうかがわれるところであり[事情聴取メモ[丙13]には遺書はない旨の記載がある。]、一審被告アテストの当該パソコン提示の求めに一審原告が応じず、また、その理由の説明に不明朗なところがあるとしても、それだけで当該パソコンにそのような電子データが保存されていると認めることはできないから、結局、勇士の遺書が存したと認めることは困難である。)、

さらに、ホワイトボードに勇士が残したとうかがわれる「無駄な時間を過ごした」との記載(この記載があったことは上記認定のとおりである。)もそれ自体から自殺の理由を特定することは到底困難というべきであって、結局、勇士自らが自殺について理解可能な説明を残したことは認められない。その上、本件全証拠を精査しても、一見明らかに勇士が自らの主体的、理性的な判断に基づき自殺を選んだとすべき事情は見当たらない。
  これらによれば、勇士の自殺が精神疾患によるものではないかとの相当な疑いが生じるというべきである。

(3) ところで、以上に認定した事実によれば、労働者災害補償保険の給付の請求に対する行政処分においては、ICD-10のF0からF4に分類される多くの精神障害についてこれを発症したと認められる者が自殺を図った場合、精神障害によって正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定(労働者災害補償保険法12条の2の2の故意の欠如を推定)する運用がされている。このことに加え、交替制勤務によって生じる問題のひとつとして、交替制勤務労働者は、本来の生活リズムから大きく逸脱し、通常の生活からずれるため、家族とのすれ違いなどの不利な影響を受け、また、社会的に孤立化することが挙げられている。

また、クリーンルーム作業について、一般の作業環境から隔絶された特殊な労働環境であって、室内作業者は物理的な閉所であるクリーンルーム内で単独又は少数で作業をすることなどのため一般的な人間関係が阻害されるという特殊性があることが指摘されている。そうすると、交替制勤務によりクリーンルーム作業に従事する労働者が使用者側が用意した寮に単身で居住している場合、当該労働者の生活の大部分はそのような形で労働者を使用する者によっていわば抱え込まれているのであって、その健康状態を含めた生活の状況等の全般を外部者が把握することはその外部者が当該労働者の近親者である場合を含めて容易ではないのが通常であり、

他方、その生活の大部分を抱え込んだ使用者はこれを把握することが比較的容易であると考えられる(事業者[事業を行う者で労働者を使用するもの]は、労働者に対する健康診断を実施する義務を課せられている[労働安全衛生法66条]から、制度的に労働者の健康情報を保持し得る立場にある。)。


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